2011年1月29日土曜日

酒谷山

2011.1.29(土)
酒谷山は国縫層の火山角礫岩部層とされているだけあって、酒谷川源流域は錯綜した急斜面が多く、森林開発は容易でない地域と想定していた。
最終人家から歩きはじめて、海成段丘面が4段続いて酒谷山の麓に至る。段丘は地域産業の”牧草地”、道南と道央を結ぶ送電線に沿い、スギ植林、トドマツ植林、伐採道路、ルートはダケカンバ二次林、そしてダケカンバを主とする雑木林を、ほぼ里山の景観の丘を越えて頂に至る。三角点446.1の周辺は国有林野のトドマツ植林地だった。背景のサランベ岳山塊が冬期の季節風を緩和させているから、低平な山稜の北部八雲町に比してここは比較的穏やかではあろうと、トドマツ植林の相観にもそれと示されていた。
ちなみに本日の八雲アメダスのデータは最高気温14.7℃、最低気温-11/7℃、最深積雪90cmだった。前日の30cmの降雪があった。全距4km、標高差350mばかりのルートはほぼ里山の風景の中ではあるが、積雪の深さはワカンでもかなり頑張りを求められる山行になった。往路の足跡が風雪に消されて、復路も思いのほか時間を要することとなった。
9:50
0:05-0:30
2:00


深い雪を踏んで四段の段丘面を行く

段丘面をクリアーすると丘陵性山地の雑木林へ

山頂付近のダケカンバ林(国有林)

頂で帰路の深い雪を思う

10%の領域に99%の人間が活動する
90%の領域に同行2人が息づく不思議な感慨に…

長い段丘上のルートが続く;広大な牧場(四段の海岸段丘)

2011年1月27日木曜日

函館山(雪の森を楽しむ人々)

2010.01.27(木) ・深い雪の森を楽しむ人々がいた。気象は冬型の気圧配置にあり、昨夜から高気圧に覆われていた。昨夜は星が輝き、早朝からはぬけるような青空になった。やはり、海洋気象台の記録を見ると最低気温-8.8℃ 気圧1023hPaを示していた。展望のよさに誘われて千畳敷から御殿山の尾根を歩いた。御殿山にいてひょっと気がつくと、下の方から声が聞こえてきた。展望台から下をのぞくと、深い積雪の急斜面の中を歩む人々がいた。列の先頭を歩む黄色のヤッケのチッチャな幼児含めて、9人の列が、ワイワイと声をかけながら雪中を頂に向かって登っていた。歩を進めてきた森の中ではどんな話題がでたのだろう。

↑  写真をたたくと拡大します
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頂を踏んだ函館山から山
三森山と蓬揃山

・鳴川岳・横津岳・庄司山・烏帽子岳・袴腰岳・三角山

・剣が峰・砂原岳・七飯岳・鳴川岳

・毛無山・二股岳・木地引山・仁山

・雷電山・毛無山・二股山

・不二山・袴腰岳

・当別丸山・桂岳

・後に大千軒岳山塊 ・先週の頂:丸山
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 函館山に多いカシワ:葉を落とさない個体と葉を落とした個体
千畳敷のカシワ:風衝強く受ける個体

見晴所付近の育ちの良いカシワ
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 函館山溶岩の路頭:薬師山コースのアプローチは路頭の右下

御殿山溶岩の路頭:手前はスギの木立
路頭の左の小さな緑はアカマツ(植栽)

2011年1月22日土曜日

丸山(渡島当別丸山)

2011.1.22(土)
.渡島当別へ同行SHOさん、HOZUさん、TAKIさん(二股岳に次いで二度目)の4人で行った。
墓地
ルルド
墓地
9:30
10:00
11:22
11:45
12:45
トラピスト前の駐車場に9時30分集合した。周りは何する人ぞ、この時期としては多くの人がいた。思い思いの方向にカメラを設置している人もいた。道路も建造物も、並木道も含めて風景が雪に覆われていたから、白い真綿のベールのトラピストが彼らの狙い目かと思われた。除雪のされ方も、圧接道路も、心なしか静清として心こもる美しさが感じられた。目指す丸山の森全体も冠雪していて、深い新雪と冠雪の樹林の中を楽しめそうだった。トラピストの裏に回って、工場前の広場に車をデポした。HOZU氏の「雪がある所には雪崩あり」の号令で…ビーコンチェックをして、今日はみんなワカンで行くことにした。HOZUさん、TAKIさんはトラピストは初めてだから、墓地、三木露風の歌碑(1889年 - 1964年。詩人、童謡作家、歌人、随筆家。近代日本を代表する作詞家として、北原白秋と並び「白露時代」と称されたや展望台、ルルドに立ち止まりながらの楽しい山行になった。ミズナラとコナラのこと、ブナ二次林のこと、クマゲラの営巣木、スギの上限高度、太さと年齢etc.…頂上の天測点まで、話題が途切れなかった。テレマークマンのTAKIさんは、「スキーを上げても良かった」とブナ林の急斜面を眺めていた。帰路、途中から青空のプレゼントがあった。この時期の風景を、展望を存分に楽しめた。トラピストの丘の川向かいに島崎藤村ゆかりの寿楽園<秦家の別荘のある庭園が寿楽園。島崎藤村が「寿翁遺跡碑文」の一文を起草。藤村が妻(冬子)の実父、当時漁網問屋だった秦慶治(現函館の秦商事)から、1904年来函して「破戒」自費出版の資金400円を調達した。>の台地も遠望できた。トラピストへの並木道の生長、土の丘からコンクリートの展望台へ、荒地から樹高16mのスギ植林地へ、ルルドは岩窟からコンクリートの祠へ移され、俺の40年前の記憶が鮮明だから、トラピストの時間的変貌におおいに感じ入った。


9:30 墓地前の「死は新しきいのちへの門」
カトリック当別聖リタ協会・墓地
墓地の前の牧草地とスギ林と広葉樹林と奥に丸山

9:45 えぞちの野薔薇

作詞/修道士 校正/三木露風 作曲/山田耕作
「野ばら野ばら 蝦夷地の野ばら 人こそ知らね あふれ咲く色も うるわし野のうばら

40年前と同じ場所に同じ歌碑があった
如何にして維持されてきたものか?


周辺の環境は荒れた登山路だったが今はスギ林の中
ノイバラ、ススキ、オミナエシ…が茂る薮道から
樹高16mのスギ林へ

9:50 記憶では、地面に座ってトラピストを展望した
今はコンクリートの見晴らし台に立って林冠越しに…

9:52 聖母像は、奥の沢頭の岩窟から
コンクリート製の壁に移されていた

10:45 地面から150cm 営巣準備か?
クマゲラの鋭いノミの跡が認められた
ノミ屑が雪上にあった まもなくドラミングの季節到来だ

10:50から11:00までブナ二次林(純林)が続く尾根を歩く
記憶では 、被圧されたスギが林床に生きていた
植林に失敗した証明の日陰のスギ低木であろうか

尾根のブナ二次林

乾燥型の褐色森林土に立つブナ林
頂から函館山を望む:


11:22~11:45 雪に埋まる天測点
.当別丸山  北斗市、丸山(まるやま)山頂
コンクリート製四角柱、1954年選点 子午線標 約6.4km真北
(北緯41度48分11秒、東経140度33分01秒)









下りの尾根:スキーも楽しめる尾根だった

暴れ木:皆伐・植林時に伐採されず残されたブナ
植栽されたスギの成績悪くブナが天然更新した
周辺にスギ孤立木が点生していた
(点生僕は国道からも遠望できた)

心温まるような風景にしばし・…碧空の晴天ならば海の青さも…
丸山の山地~牧草地の海岸段丘~当別海岸の津軽海峡



天測点
国土地理院が建てた、1mほどのコンクリート製の天測点の一部が雪上に顔を出していた。天測点は全国で48カ所、北海道に8カ所。現在は測量のために使われることはない。
天測点は天文測量を実施するために設けられた。 天測点は測量機器の重量に耐えうるコンクリート製の観測台。四角柱や八角柱などさまざまな形がある。台上部に指標鋲、側面に銘板「第何号 天測点 地理調査所」が取り付けられている。
天文測量は、三角測量で求められた位置座標を規正する。 昭和29年から5年間、一等三角点のすぐそばで天文測量が実施された。 その後は機器の軽量化により天測点を設置することはなくなった。天測点の 真北約6.4km(北緯41度48分11秒、東経140度33分01秒)離れた個所に、測量機材を正確な方位に設置するため子午線標という目印の石柱が設置されている。

2011年1月20日木曜日

12か月点検

2010.1.20(木)
12か月点検日。冬タイヤのチェック(柔らかさゲージは緑を表示)では、「柔らかさを維持されていて十分な弾性です」との診断だった。これで安心して冬道を走行できるとのご託宣があった。
下廻りを見せていただいた。緊急ジャッキアップ時の器具を装着する位置は、かなり限定された個所にしかなかったことを知った。後輪は一カ所、前輪は左右夫々一カ所だけだった。やはり素人は触るべきじゃないことを心に銘じた。
林道を走ることが多いから、下廻りが損傷を受けていると想像していたが、案に相違して損傷はなかった。



2011年1月16日日曜日

二股岳(大野)

2010.1.16(日)
 「国道227の大野下二股沢林道入口付近の駐車場」7時集合に合わせて、雪道に車を走らせた。不用意にも夏道の時間設定で出かけてしまった。案の定、定刻に数分遅れてしまって(日頃チビ達に「”約束の時間5分前厳守”が社会において信頼される大切なこと」と言っているから…大人とは勝手くさいッカ!)メンバーSugi・Taki・Hozu氏らから信頼を少々失ってしまったか(?)。
檜山地方に暴風雪警報が出ていたが、仰ぐ二股岳は、アプローチの林道から茜色にすっきり美しい姿を見せていた。積雪は深いが、軽い新雪を10分交代でラッセル。1時間弱で、林道のヘアピンカーブを右・左と上がりきったところに着いた。
搬出路跡と思しきスロープが林道から右の方向に上ってトドマツ植林地へ伸びていた。植林地に入る頃から空は青空を失い、山鳴りがはじまり、小雪が舞い始めた。トドマツ植林地内の搬出路をしばらく進み、まもなくブナ林の大斜面に入る。空模様を気にしながら、小休止し装備を引き締める。ブナ林越しに二股岳が見えてくるころになるとブナ林は急斜面となる。ギクをきって一気に登ると、風衝のササ生地に至り、白い世界へ飛び出す。ピーク・754に立った。二股沢と東二股沢との分水嶺で、雪崩斜面~弥五兵衛岳~大沼~駒ケ岳が指呼できる展望のいい場所だった。風雪が増してきた尾根を二股岳へ進む。頂上直下で一部カリカリの斜面があったが、ルートは適度の積雪があってシールをリズム良く前へ進めることができたので、ピーク・754からひと踏ん張りで頂上に立てた。風雪がさらに強くなりそうなので、楽しみな頂からの”展望と会話”もそこここに、写真をパチリ、そしてシール外しを終えて、ザックを背にそそくさと滑り降りた。ブナ林の大斜面、間伐が行き届いたトドマツ植林地の緩斜面(積雪状態も良く)を、そして程よく積もった新雪の搬出路…スキー板の感触を楽しみながら林道まで下り立った。Taki氏のテレマークが、林道へ下りる崖に飛び込んだ。見ていても、舞うような浮遊感を感じられるすごいテクニックを見た。
林道は、登山口まで”天国と地獄”(滑走できる下りと登り返し)を繰り返す。初めからシールを着けたSugi氏、最初の登りでシールを装着したTaka、最後の登りでシールを取り付けたHozu・Taki氏の”天国と地獄”への3つの対応があった。この三様の勝負は、「最後の登りでシールを付けた者」が天国の時間を多く楽しめたようだった。

登山口
搬出路へ
トドマツ林からブナ林へ
二股岳着
登山口着
AM7:15
AM8:10
AM9:00
PM10:05
AM11:45


林道から中二股沢分水嶺を望む:二股岳も同様の茜色に染
まった。帰路に風雪舞う天気となる。

林道から上がったトドマツ林内の搬出路を行く

搬出路は比較的幅が広かった

トドマツ林を貫けて、いよいよブナ林大斜面へ:もう青空はない

ブナ林の大斜面の上部。ダケカンバを混生する

風衝地直前の森林:ブナ林最上部の急斜面をジグザグに登
る。ブナ・ダケカンバ・シナノキ・イタヤカエデの林:風衝で暴
れ木の多い林になった


森林も風衝樹形:ダケカンバが多く混じる


ブナ林越しにマイクロウェーブ反射板が立つ二股岳を望む

二股岳の南ピーク・754


同上で展望を楽しみ、弾む話題:
眼下は東二股沢。晴天が嘘のように雲が流れる


頂で:風強し

2011年1月15日土曜日

雁皮山の北ピーク(・747)

2010.1.15
新中野ダムから右の雁皮川へ入り、間もなく・413経由でCo580mの林道に上がる。林道を1200m北進み、林道(右側の法面が崩壊地で幼木多し)から真東のピーク・747へむかう。コンターがやや込むが、斜面に入るとそれほど急でなく、緩斜面の範疇に入るであろう。
747ピークの位置図⇒http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=415222&l=1404904
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新中野ダム
取り付き尾根
Co580林道
取り付き尾根
・747山頂
9:00
9:10
10:43
11:20
11:45
【・新中野ダム着:13時10分】
林道から取り付き尾根:トドマツ林内の尾根を行く

トドマツ植林の上部は古い二次林(ミズナラ・・・・)

ミズナラ・シナノキ・イタヤカエデ二次林の幅広い尾根に登る

Co580m林道へ

林道からピークへの取り付き(崖状の法面)

・ピークから南側の雁皮山

東方の三森山

北方:袴腰岳方向のダケカンバ林
台地状の中に城岱沼やアヤメ谷地が・・・

ピークの森林
ダケカンバ5 ブナ2 低木層はチシマザサ5

寅の沢と台地状のダケカンバ林

新中野ダムの着いた時の空。
よく晴れて、今冬最低気温と思われる。
頂で指が痛む寒さだった