2012年1月3日火曜日

三森山

年始登山は(sanagさんShoさん)と三森山だった.松の内に登山が叶って、私的にも社会的にも「一陽来復」の年でありたいと願いながら 深い雪のラッセルに歩を進めました.松倉川右岸の林道は、ラッキーにも上水道取水口がある寅の沢まで除雪されていました.向かう山の姿を見ながら林道を走りました.
上図は南南東の林道から見た三森山です.山体の南~西側に回るようにして、急崖が連続して松倉川に落ちていることが写真からも分かります.登頂ルートは急崖側からはかなり見つけ難くいようです.
三つのピークは緩やかな凸型地形(饅頭型)の溶岩部です.東側から登る夏道を歩くと、頂上に近づくと、溶岩の路頭があって、板状節理がよく発達している様子が観察できます.
急崖域は火山砕屑物の堆積物の地形です.三つの緩やかなピーク域は溶岩がつくる地形になっています.写真もその様子を教えてくれています.
スギ・トドマツの植林地をぬいながら林道を進んで行くと 崖が近づきます.断崖は白っぽく見えました.やはりもろい凝灰岩であろうか・・・と思われました.崖の上のシルエットはブナ林です.

岩塔もありました.やはり白っぽい色です.岩塔中央部には、黄色を帯びたバンドが見えました.凝灰岩のバンドであろうかと思われます.このような三森山の南~西側が崖になっていて、松倉川側からのルート探索は中々見つけがたいようです.
三森山は火山噴出の熔岩で,付近の山岳の雁皮山熔岩と同時期と思われ,その後に横津岳熔岩、さらに新しく熊泊山熔岩,泣面山熔岩・・・と、付近の山座は時代を新しくしているようです.
三森山の三つのピークの周辺は古い時代に火山から噴出された火山砕屑物の堆積物でできており、その地層を突き破るようにして三森山溶岩が噴出したことが知られています.

頂から南に延びる尾根に取り付くことを狙い、東側から崖状の凹部を這い上がりました.左右は登ることが困難な急斜面でした.

凍りついた滝は プラブーツにアルミワカンでは登れません.ここはトップのShoさんにロープを出してもらって 滝を四つん這いになってクリアーしました.

三森山から南南東に延びる南尾根690m地点(最終到達地点)の林相です.ブナ林とダケカンバ林が斜面を住み分けていました.

 
ブナ天然林域の50m×50mの伐採跡(小面積皆伐?、または孔状択伐?).跡地はササに覆われていました.道有林は「天然林の伐採は止めた」と聞いていましたが、写真のように登山途上に、時にはこのような天然林域に孔状伐採跡が現れて来ることがあります.このササ密度の様子では新しい林が出来るのに(更新)気の遠くなるような時間が必要であろうと考えられます.


上はブナ・ダケカンバ天然林の伐採跡地です.上図と同様に、このままでは新しい林が成林するまで気の遠くなるような時間がかかることでしょう.何らかの手を加える必要を感じました.

2012年1月1日日曜日

函館山(初日の出)

恒例の函館山元朝家族登山」は 4名参加でした(2名欠席).函館は曇空予報であったが、室蘭の元朝は晴れ予報でしたので、それに期待して夜明け前に家を出かけました.
・下のデータは日出・日の入・南中時刻計算=地点は函館山.
年月日方位[°]高度[°]入り方位[°]
2012/01/017:00120.125.216:21239.9
・出入りの時刻は太陽の上辺が地平線に一致する時刻です ・方位は北を0°とし、東回りに測った角度です

下北半島東北端の尻屋崎方向の地平線(函館山から120°)から真っ赤な太陽が出ました.心を動かしたこの色は、私には初めての太陽の色でした.周りの者も 皆感嘆の声を上げていました.若い人の「ヤバい ヤバい」の表現には チョット戸惑いましたが・・・‣.

太陽の右に続く緩やかな山容のシルエットは桑畑山400m(一等三角点 尻屋山)です.
歴史家は 「1明治維新(近代国家へ)、2敗戦(国民主権国家へ)、3福島原発事故(エネルギー革命)」と呼んでいました.そのような歴史的瞬間に立っていると思うと わが身がしきしまる思いもしました.元旦は、昨日から今日へ、今日から明日へ・・・ただの日常の連続と大人ぶっていられない思いもしました.チョット身が引き締まる2012年正月元旦でした.