2014年5月11日日曜日

桂岳~通称:釜谷岳(旧図:カラス嶽)~点名:釜谷山を巡る

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◆◆ 5月6日と5月11日に歩いての二つの提案。
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◆1 御料林の幅広い境界歩道上のブナの美林を歩くルート(提案1):赤実線のブナ林を目当てに、林道と地辷り地形を確認しながらのエスケープ歩道を利用して周回するルート。
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◆2 天上のカタクリルートを歩く(提案2):桂岳の登山口から登山路⇒P662m⇒P681m(カラス嶽)⇒小等三角点釜谷山⇒藪を登山口まで下り(青実線)周回するルート。
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◆  山が崩れて桂岳へのルートが断たれたとの情報の真偽は?。山崩れで林道が土砂の埋まったのは鴉沢。その鴉のいわれは?。林野庁の計画図で「禾偏に鳥」でからす沢と読ませるが、地形図は「牙偏に鳥」だが?。

その違いは誤植か?。または古来そういう漢字が使われていたか?。明治40年代と言われている亀川御料林の防火線の今は?。などなど解明したい事柄があったので 現場へ出かけた。

5月6日(火):山崩れ箇所と林道終点往復と国有林入り口の御料林防火線から1km程度巡検した。数日後の5月11日(日):防火線を桂岳まで踏査し、帰路は登山路をつかい林道終点に下りて国有林入り口まで周回した。

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◆  左図は明治10年ころの地形図
・ Mouさんから「カラス嶽」が記載された地形図(明治10年ころ)の提供があった(左図)

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現地形図と並べ 対比してしてみると
・< >はM10年頃の地形図 ( )は現地形図


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・<741m 桂岳  >  (734m 桂岳)
・<684m カラス嶽>  (681m 通称:釜谷岳)
<・・・  > (641m 小頭三角点・釜谷山)
<555m      >  (コンタ 540m+)
<374m> (411m 三等三角点・亀川)  
<472m 丸山>(482m 一等三角点丸山)
 以上が両地形図の位置関係であった

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◆  判明したこと
*1 鴉川: 偏が 禾か牙か判読不明であった
*2 カラス嶽: 周回した時は、現地形図・標高点662をカラスと呼び通過した。しかし通称釜谷岳681mが、「M10年地形図」のカラス嶽であった
*3 札苅 泉澤 釜谷 石別の地名も見えた。「村名」であろうか・・・

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・桂岳へのアプローチ林道が 近年 土砂崩壊により通行できないという情報があった。このことがあって町主催の登山会も中止されているようだった。

・5月6日(火):伊勢鉢山の地辷り地形を紹介されたMouさんと 登山路開設のエキスパートTosさん 北斗市の女史の四人で 巡検に出かけた。

←土砂の崩壊現場にメンバーが辿りついた。
・崩壊地下の堰き止め沼になった箇所の鴉沢。
・崩壊地の前植生は、上木はカラマツ植林地だった(被害木が伐採搬出されていた)
・対岸は ブナの新緑がまぶしいくらいで 緩斜面にトドマツ植林が見られた。
・崩れ現場を登ると崩壊の頭が見えた。

頭の崖断面は、八雲層の岩相だった。しかし八雲層本来の地層らしき走行は一か所もない。不規則に積み上がった軟質頁岩が累々としていた。

・八雲層特有の地層(走行)が全く認められない。頁岩が不規則に堆積しているだけだった。かなり前の崩壊物が堆積したような断面だった。この上部の地形図を見ると、またとないゴタゴタした地形が表示されていた。
・対岸の地質は うってかわって上磯層群の属する中世代初期の硬質粘板岩類であろう。
・子供のころの学用品だった「石板」に利用されたスレートを思わせる路頭もあった。手元で使用する「黒板」の用に供された{石板}だったから、いまどきの「タブレット」と言えよう。
・粘板岩にねっぱっていた「イワナシ」

・山崩れ箇所、亀川林道終点往復し、さらに国有林入り口から防火線を1km往復して今日の巡検を終えた
・上記行動日から数日後の5月11日(日) 前回発見した亀川林道を横断する防火線(境界標識も見える)から今日の行動を開始した

・国有林の入り口の林道から右の境界防火線に這い上がり、桂岳まで、防火線に沿って歩いた。帰路は夏道を下りて林道を下り、ここに至る(周回)。

・行程は、周回15km(7時間30分)
・八雲層の定高な長く続く尾根(幅5m程度に刈り払われていた防火線)にブナの巨木が残っていた
・かなり長く続いていた定高尾根:ブナ林の二次林
・何所までもいつまでも続くブナの森の尾根道よ!森を愛する者来たれ・・・(御料林の防火線跡)
・宮マークの境界標石(御影石)
・テングすみれも延々と防火線に沿って開花していた
・ブナ美人の廊下が何所まで続く・・・いつまでもいつまでも・・・・森を愛する者にとって、このルートは垂涎の地。道央の者らにもお薦コースだ。おおいに満足する森歩きのなること必定と思われる
・ブナの芽生え

・ブナの一年生が集団で芽生えていた(昨年は大豊作年だった証拠)
・ニセ釜谷山(図根点あり)からの桂岳遠望
・小等三角点釜谷山から 桂岳を見る
・明治10年ころの地形図にカラス嶽と表示ある標高点681m(通称釜谷岳)の御料林標石
・天上のカタクリの廊下を行くSakag氏とRyu氏
・「雲の上にのびるカタクリロード」と呼んだりしながら送電線方向へ下った
・三角点の桂岳に到着する。電波反射板から桂岳まで、歩道が狩り払われていた。

・高圧線から桂岳手前までの登山路(国有林境界)に、地籍測量の境界標識杭があった。

樹脂性の標識杭は「SOFT」と記述されていた。おそらく制作社名か品名のSOFTで、エンビ性の杭であろう。

頭部の標示は「→」が頭の角(境界点の位置)に向いていた。
かなりの細かい間隔に埋め込まれていた。
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