2015年3月22日日曜日

毛無山(追悼登山会)

スタート:上河汲沢――経由:毛無山――檜沢の滝東の慰霊碑――ゴール:檜沢の滝駐車場

追悼登山会が今日22日開かれ、私も参加しました。齋藤氏が亡くなられて(2014.02.24没)、多くの方に初めて知らされたことがあります。

彼の踏んだ山座は、名のある山も、三角点設置されただけの頂も、独立標高点のあるピーク、さらに何も表示されていないポコも登山の対象にしていたように見えます。

道南の小さな山々、口の端に上ることもない不遇(?)の山々、それらの山々もたいせつにし、意識を高くそして孤高に対峙していた様子です。

「どんな山をやりたいのか」と自問する身にとっては、今になって「齋藤氏の山への情熱は如何に!」と聞きたいと思うのです。どのような出会いがあり どのような感動があり どのような事柄が心に芽生えたのか・・・と。

Sanag氏とKamak氏らを中心に、咋年から一年にわたる働き・掘り起こしの結果もありますが、齋藤氏は、道南の山登りをする人らに、あらたな山への「創りだし」をおこしてしてくれるであろうとの希望が胸をよぎりました。

山の深遠さ、森を行く楽しさ、仲間がいるうれしさ、仲間と語り育てられる嬉しさ等を・・・。そのようなことが心をよぎりながら、幅の広い尾根、原生林的なブナ林、ダケカンバ林、雪崩斜面・・・渡島らしい山々に身を置きながら、同行志と雪原を歩くことができました。嬉しい体験でした。

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◆ アメダス鶉 齋藤氏没2014年02月24日前後の気象<日ごとの値(抜粋)>を下に掲載しました。(冬山の事故は低温、風速、降雪、日照との関連が大きいものと思われる。)

最高 最低 瞬間最
大風速
降雪量 日照
時間
19 0.6 -14.7 8.4 5.0 8.3
20 -2.1 -12.9 8.9 10.0 1.0
21 -2.4 -12.5 8.6 8.0 2.5
22 0.9 -17.8 5.2 4.0 2.5
23 1.6 -13.5 7.9 5.0 5.0
24 2.1 -3.3 8.0 3.0 0.4

・ 3月4日に鶉で21cmの降雪、函館美原でも4日は21cm降雪ありました。現地では50cm相当の降雪を測定されました。これがその後の捜索活動を困難にしました。

・ 最低気温に注目したい。3月22日鶉-17.8℃、大野-14℃、函館-10℃でした。放射冷却、冬型気圧配置、毎日数cmの降雪、季節風の強さも侮れない事柄です。

・ 最後の地の大野の中山の気象は、標高、降雪、そして内陸部等の類似性から「厚沢部鶉」アメダス観測所のデータから推察するのが適当と思われます。

◆ 慰霊碑(△)の位置から見た樹木配置
  (△)→8m南に   ヤチダモ、ハルニレ、キハダ
  (△)→6m南西に カラマツ(5mの高さにピンクテープ結束)
  (△)→6m北西に キハダ
  (△)→7m北に   トドマツ

詳細は 毛無山(750.4m)追悼縦走登山会http://sakag.web.fc2.com/kenasi-tuioto.htm
     齋藤浩敏さん 慰霊プレート設置https://www.youtube.com/watch?v=ZNOV-f-HJo8
     斉藤浩敏さん終焉の地(4月10日)https://www.youtube.com/watch?v=jrwCsMIevmw
     設計山・斉藤浩敏さんの捜索4/5AB班と-6A班出発https://www.youtube.com/watch?v=TnjSYRQ1WBA
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2015年3月8日日曜日

Co760(中二股川右岸ピーク)

大野、中二股川奥のCo760mピークに行ってきました。今季の冬山は、事情あって全く山行していなままでした。冬山抜きのいきなりの春山になりました。そのこともあって、スキーはチョット大儀だったから、より確かなカンジキをかついで家を出ました。

メンバはSyoさんと二人です。Syoさんは三等△点の中二股川と三等△点の小滝の2つの頂を既に登っていました。私は点名「中二股川」の頂を同行Sakagさんと踏んでいます。今日のCo760m峰は、二人とも初めての山頂になります。

中二股川を囲む700m超のポコは3~4座ありますが、ポコCo760の登山の記録は、昨冬死去した斎藤浩敏さんの他にいないといわれます。

このポコは、無名峰でかつ標石の設置もなければ、地形図に独立標高点の表示もない。地理的位置からも、登山屋に注目されることなく、登っれる事が殆どないポコであろうと思われます。

朝は放射冷却で氷点下に下がったが、日中は晴れ渡り無風、天気情報では8℃になるという暖かい日でした。天気に恵まれた山行でした。

昨日降雪があったから、晴れて雪原は白銀、眩しいほどでした。積雪の柔らかさも、さほど難儀することもありません。

家を8時30分に出発し、帰宅は15時30分でした。天狗岳の登り口でもある大野ダムの入り口は、ダム管理のために何時も除雪してあって、駐車にはとても好都合です。

・629手前の岩角地のトラバースはチョットいやらしい斜面でしたが、他はビビるところもなく、森林地帯の尾根歩きで、春山をのんびり楽しめた一日でした。総行動時間5時間30分でした。

復路は・629直下の岩角地のトラバースを嫌って、回り道して△点「小滝」経由にしました。膨らみましたが、これがまた、設計山を正面にして、咋年の捜査活動の地を目で追うことができ、思いをさらに深めることができました。
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正面は中二股川下流にかかる大野ダムです。ダムサイトが見える駐車場からスタートしました。(Co270:9:30)
Co390で林道から離れました。左図は、この度の往路の尾根コースで、最後の植林地になる写真です。左は雑木林、右にトドマツ植林地の斜面が広がっていました。一定の幅で奥に伸びて歩道のように見えているのは、列状に間伐した跡です。(Co420:9:40)

ここから、暖かくて体温調整のために、上着を脱いで半そで一枚になった姿で歩きました。

最後の植林地を抜けると、ブナ林の急斜面です。・619まで続いていました。

上部は、かなりのやせ尾根で帰路が懸念される岩尾根でした。左は崖になって落ちこみ、右は積雪が階段状にズリ落ちて地表を覗かせるところもありました。(・500:10:20)
微妙な斜面のトラバースを強いられた岩尾根を越えて、・619手前の尾根に上がるところです。ダケカンバがブナ林に混じりはじめました。

今朝は氷点下の気温だったこともあって、深くヌカルところもなく定高の尾根に上がることができました。昨日の新雪は15cm程度でした。(・600:10:40)
ほぼ定高の尾根を・619、・652と経由して、左図はCo610から目的のピーク前の斜面を望む写真です。雪原に黒く帯状に見えるのがチシマザサです。への字形に2つ並ぶ斜面の直上の凸部の奥に、この度の目的のポコCo760が隠れています。

「ここから18分で頂を踏む」と宣言し、心を振るいたたせて目標のポコ狙いです。右奥のポコは、既登の△点中二股川です。(Co610:11:30)
正午、今日の目標の地のCo710ポコに立ちました。北方に、乙部岳です。正午の陽に照らされて、ヒマラヤ襞?となってよく見えました。(Co760:12:00)


ダケカンバ越しに二股岳が輝いています。右の開けた広がりは、弥五兵衛岳に続く木地挽山の牧場です。
乙部岳のヒマラヤ襞(?)を背景に登頂できた喜び・・・・。

木地挽山越しに、横津岳高原が見えます。左に覗く白い斜面は二股岳です。
あらためて二股岳。夏道があり春夏秋冬よく登られる山です。

中二股川源流域の植林地が見えます。黒っぽい色はトドマツ植林木です。トドマツ植林木がまばらで、疎林状態の領域の広がりが見えます。どのような理由か?・・・植林の目的未達成の不成績林です。
中央にチョコット無理した白い塊の駒ケ岳が見えます。手前は北斗市と森町の界での三九郎岳か?
厚沢部町小鶉川源流の「Co780ポコ」が見えます。蛾蛾として近寄りがたいポコですが、同行のSyo氏が頂を踏んでいます。一人行動だったようで、俺が同行していたら、あまりにも急峻で足が止まって、ポコ手前で行動中止にしたのではないだろうか。

他にここに立った人の情報は知らない山です。無名だけれど、孤高にして剣の面持ちもある山容でした。

右の奥に見える馬蹄形はサランベ岳で、左奥には鍋岳が見えます。
・615を越えて、アップダウンはこれ以降なしです。下りる足も駆けるようにどんどん早まるようです。

カラマツ植林が失敗して、ダケカンバの二次林になった林を抜けます。ところどころに、残ったカラマツは見えます。
ダケカンバ二次林の中にヤマザクラなどが混じって、その中をどんどん下ります。

地図を見ることもなく、下りの尾根をSyoさんはよく間違いねいねと、感服します。緩やかな斜面が広がり扇状に枝尾根がわかれている地形を下るのは分かりにくいのに・・・。土地勘か、前もって緻密に記憶しているのか、どっちかわからないが。

Syoさんの後を、走るごとくに懸命についていきます。

そして小滝の沢入り口(小滝の歴史的説明板のある国道)に降り立ちました。(Co300:14:30)

2014年8月2日土曜日

大和橋の沢から628峰(奥三角山)へ

 今春は、大野川流域右岸領域(毛無山~設計山)へ、行方不明者事件捜索要員としてほぼ一カ月の間入山できました。その間、積雪の中にあって、暖候期の遡行をそそられた沢は、中山橋の沢から設計山と、大和橋の沢からP928峰(通称:奥三角山)の二つがありました。

 8月2日(土曜日)Sakag氏のとSho氏らと、その一つの大和橋の沢を奥三角山(P928峰)まで遡行することになりました(下図)。

 大和橋の沢の遡行は、一つには古期岩類(上磯層群)と中新世後期の堆積岩(八雲層)が接する大断層の路頭を踏みながら遡行できること。
二つには旧大野町を北に出ない「サワグルミ」が、この遡行中の沢に自生しているか否かをチェックできること。この地質と森林植生巡検への期待があっておおいに楽しみなことでした。



大和橋から標高375m二股分岐を右へ南下する沢沿いはV字谷・急斜面・直線状の沢模様であって、大和橋の沢から596峰、628峰方向の東側の等高線模様は、それと全く違って見えます。地質構造の現れでしょうか。

 なお、遡行図の沢の詰めは、図のように628峰南方の鞍部へ早めに上がった方が、ササ深くなく安定して登ることができて正解でした。628峰を踏んだ後の帰路に、最短ルートを選択し計曲線550mの突出部の凹部を下り、主曲線520mの沢で往路と合流しました。しかし大型草本と灌木・ツルが絡み合い、沢筋は岩礫に足を取られひっくり返ったりで難儀しました。

 やはり往路を忠実に辿るべきでした。教訓:特段の理由があれば別だが「往路に忠実に従って復路とすべき」でした。山歩きの掟!「谷に降りるな」、「迷ったら引き返せ」と同等の山歩きの教訓として心に叩きこみなした。



国道227号沿いに立つバス停「大和橋」この下が入渓地点になります。この停留所に降りる乗客は、まずいないであろうが、どうしてここに停留所があるのか・・・。機会あれば道南バスに聞いたりして知っておきたいと思いました。
バス停直下の大野川、奥に分岐する大和橋の沢が見えます。大野川は圧倒的に安山岩類の転石が多いけれど、大和橋の沢に入ると、古期岩類の粘板岩や砂岩も混じっていました。
大和橋の沢の左岸は古期岩類と思われ、F1下には脆く石炭色に変質した粘板岩の路頭が見られました。
F1の上部の河床には、白色の線状模様を描く古期岩類の砂岩のたぐいであろうか。
左岸は古期岩類の領域です。直線状沢模様と急斜面が特徴的地形として認められました。左岸の急斜面には、案の定、大規模な雪崩斜面特有の「ヒメヤシャブシ・タニウツギ群落」がブナ林に囲まれて発達していました。
標高375m二股を左に進むと:鮮新世の頁岩が現れ、上磯層群の領域を離れ、頁岩等の中新世後期の八雲層の領域に入ったことを知らせてくれました。
標高をあげるに従い、河床の岩模様は、頁岩類から礫質凝灰岩の類に変化してきました。
F2は、礫質凝灰岩でした。
時には凝灰岩域に頁岩が現れます。
上流域は、ほとんど礫質凝灰岩でした。海底火山の領域なのであろうか。



628峰(仮称:奥三角山)頂上から、三角山(605m)方向が開けて展望できました。積雪期の行方不明者捜索で歩いたルートが懐かしく思い出され、つい目でそのルートを追いかけていることに気づきました。
同上の尾根上の原生的ブナ林です。
遡行中注意していた「サワグルミ」の自生は確認できませんでした。

やはり、捜索時に発見した、中山橋の沢から設計山方向の二股洪涵地に立地していた「サワグルミ」が大野川流域唯一の自生地だったのであろうか?

積雪期の捜索時に中山橋の沢中流域で遭遇した「サワグルミ林」は、毛無山から設計山に至る広大な大野川流域斜面で、そのサワグルミの自生は、中山橋の沢の其処だけだったと思われます。
無いことを証明するのは難しいから、もっと詳細な探索は求められますが・・・。