・ 駐車場発8:00ー(1:30)ー帆越山9:30ー(1:40)-太田山11:10ー(0:50)-相泊山12:00ー(2:20)-駐車場着14:20。
・ メンバ yuki@埼玉熊谷。 札幌「地図がガイドの山歩き」チームのKo玉 チロロ2 チロロ3 Marbo もこ もこ夫 saijiyo。 函館からsakag Tao。 10名のおおきなグループになりました。
・ 天気:曇りのち晴れ。<一昨日から今冬一番の雷伴う猛吹雪。視界不良で自動車道不通あり。せたなで23.6m/瞬間風速、今金で降雪28cm/日、テックイランドの管理人は「駐車場で50cm/日」と目視を語っていた。>
・ 各々の頂上の①岩体と②標高は、▲帆越山(花崗岩質岩体、4等点名:帆越山321.2m)、 ▲太田山(古期堆積岩類、485m)、 ▲相泊山(中新世始めの堆積岩、3等点名:野田布531.6m)。
前泊は「道の駅テックイランド大成」でしたが、終日猛吹雪のために除雪は生活域優先にされて、道の駅の除雪は明日以降に後回しにされるようです。メンバ所有の大型オフロード車で、がんばって除雪ならぬ圧雪で駐車スペースを確保しました。
翌朝帆越トンネル入り口に駐車しそこを登山口としました。「帆越山~太田山~相泊山」と回り、復路は相泊山南西尾根を入山地点へ向かって下りました。太田地区は1960年代の中ごろまで道路が通じていなかったので、陸の孤島「太田」と呼ばれることもありました。
自動車用道路が通じていなかった1965年に、数泊覚悟で太田地区を訪れたことがあります。添泊岬あたりから歩きだしました。磯浜から相泊川へ入り、帆越山と太田山の間にある鞍部(cnt210m)を越え「太田神社拝殿」先の磯浜へ下りました。
陸の孤島と呼ばれたのは、帆越岬あたりに断崖海岸があって、けもの道(歩ける箇所)すらできていなかったからなのでしょうか。磯には漬物石に相応しいよく磨かれた楕円状の石(花崗閃緑岩)が累々と重なっていました。当時は選り取り見取りの優れた漬物石でした。
断崖海岸の花崗岩類特有の節理の露岩上への道路工事中が印象深かったことも記憶に残っています。露岩上に造られた道路はその後不通になったようで、私が相泊川河口から昔日下り立った磯浜へは、今はトンネルが貫けていました。
露岩上の道路が如何して不通になったか?、詳細は私は分かりませんが、あの露岩にまた立ってみたくなりました。昔、私が鞍部を越えたルートには、今は立派な送電線とその管理道が通っていました(下図の書き込み黒鎖線)。
青緑色の実線(下図の書き込み)に囲まれた巾20mばかりのルートは財務省管理の「道路用地」と思われます(私が以前歩いたルートです)。周囲の森林は国有林が管理する土地です。「道路用地」を現今の地形図に落とすと、コンターに対してとても不自然な形状になりました。
何時の頃か私は分かりませんが、小縮尺の図上で「道路用地」が線引きされたものかも(?)とも思われます。このような「隠れた」道路用地は、桧山~後志の断崖海岸の背後の随所に存在しているようです。
↓0 黒鎖線は送電線です。青緑色の実線は、曰くありの道路用地です。 赤色矢印は(→)帰路の尾根ルートです。
↓1 帆越トンネル入り口付近(駐車場):シナノキ・ヤマグワ等の林は、海風の強さを彷彿とさせる樹形です。
相泊川から登り始めました。送電線管理道を奥までつめてから斜面を登るか?
はたまた早めに尾根に上がるか?、どちらを選ぶのかと思いながら歩いていました。
Leaderの指示あって、早めに帆越山南尾根に向かって斜面を上がりました。たしかに相泊川のcnt60m付近に、崖記号がたくさん描かれていました。この崖を避ける判断だったのでしょうか。