2019年11月25日月曜日

台場山(485m) 函館市川汲


11月24日(日):台場山(485m) 函館市川汲へ出かけました。曇の予報にも関わらず、噴火湾側の山だったからだろうか、時には写真のような青空が多くあらわれました。気温も最高16.8 (12:00函館)と汗ばむほどの暖かさになりました。
海峡と内浦湾の海面は雲(濃霧?)に覆われ、一時は日暈 (内暈(22°ハロ)? 外暈(46°ハロ)?)…か。 全天はほぼ高曇りの気象であいた。
↓ しかり山座は稀なる展望(大千軒~岩木山~下北の山々)を楽しめた。



..........................山頂付近にあらわれた森林............................................................


↓ 川汲峠から(435m)登山路に沿ってブナ二次林~ダケカンバ二次林~ダケカンバ風衝低木林(二次)を経て台場山へ至ります。下の写真は、ブナ林を過ぎてダケカンバ二次林(450m)の領域に入った林のようすです。(ダケカンバーハウチワカエデークマイザサ群落)




↓ 土塁が築かれた台場山周辺の風衝のダケカンバ低木林です。左斜面にはサラサドウダンの低木層が見られました。(ダケカンバーサラサドウダン・クマイザサ群落)



↓ 史跡として管理されているからなのか、下草刈りなどの手入れが行き届いていました。<案内板:台場山485m ▼この地は明治元年鷲の木に 上陸した幕府脱走群の内 新撰組 土方歳三指揮いる 一体が五稜郭へ向け・・・初め西軍と対戦し 勝利を持って箱館戦争の火蓋を切った地である>





...たしかめたダケカンバ(同定)<Tao私案:ダケカンバとシラカンバの相違>


↓ ダケカンバとシラカンバの見分け方について長年問われ続けました。確かな相違は如何に・・・と注意をはらってきました。
 僕なりに「確信はここだ」と心得た事柄は次に述べます。幹ではなく、太枝でなはく、葉や花や果実ではなく。「季節を問わず、樹齢を問はず」同定出来る術は!!!

↓   白い幹と赤っぽい太枝が見えます。左の太枝は、蝋質の薄い表皮の下に赤色の樹皮が分かります。 


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↓ 幹の表皮に一部が幅広くしっかり剥がれようとしています。



↓ 蝋質の表皮が



↓ 皮目の形は、圧倒的に楕円径が多く見えます。蝋質の剥離も見えます。



↓ 冬芽の形。三年生の小枝の表皮が剥がれています。



↓ 一年生枝は「油脂腺点」が着生しています。二年生枝は「油脂腺点」が無くなっています。三年生枝は「蝋質表皮」が剥離しています。 冬芽もしっかり「紡錘形」に膨らんでいます。

Tao記.


..........................あらわれた地形と地質(岩石)....................
・ 川汲温泉から上流域の地形は、台地や平地はほとんどありません。地形は錯綜し、急斜面がかなり多い地域です。露頭は川汲川の浸食河岸や、旧自動車道の掘削面や法面崩落跡に見られました。

    森林は、ほどんどが落葉広葉樹で構成され、針葉樹はイチイが点生する程度です。
  植林地は急斜面が制限因子となり、スギ、トドマツ、カラマツが沢近辺にわずかに見られましたが、特記することは、前生樹が不成績でトドマツに植え直されてはいますが前生樹のヒメコマツが少なくない数で今も残ってることです。植林されたヒメコマツがどのような経過をたどるか見極めたいものです。


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↓ 川汲川標高100mの河岸、中新世(汐泊川層相当層)に貫入岩する石英斑岩の露頭が見られました。



↓ 旧道の切土法面の露頭:凝灰岩(中新世(汐泊川層相当層)



↓ 同上崩壊露頭、コクワのそで群落



↓ 切土法面の崩壊跡地



↓ 石垣が採用された法面工法が残っていた。おそらく現地調達の石英玄武岩と思われます。



↓ 硬質頁岩部 旧道跡地



↓  川汲温泉直下の川汲川河床:石英斑岩の河床はいいフリクションのはずが、油断できないほど滑った。同河床に着生した藻類のせいだろうか。



↓  石英斑岩域の浸食崖



↓  東海5万地質図:八雲層に相当する汐泊川層は緑色凝灰岩部層,硬質頁岩・頁岩部層,集塊岩部層,浮石質凝灰岩部 層に分けられている。この層への貫入岩は粗粒玄武岩,閃緑岩 質岩,安山岩質プロピライト,石英斑岩,流紋岩が認められている。



◆・・・・・ 森林の様子・・・・・
↓川汲公園付近に渓流対岸の森の様子:二次林状態であることが分かる。


↓ 上流へ向かって暫らく歩く:旧道の谷川の森のようす。シラカンバが混じってくることが多くなっていた。直径からも若い(幼齢)と分かる。ブナは混じることは無かった(繰り返し伐採されるとブナは消える)。


↓ 旧道の山側の森のようす:若いブナの林です。ブナ二次林(ブナの混交歩合は90%超え)。


↓ 日本海側の多雪地帯の森は雪崩斜面が発達するが、谷沿いの凹形斜面に深い積雪の箇所ができて草本だけで群落をつくるようすです。


↓ 電波塔のある452mポコ:四差路の右側は電波塔への道・左側は川汲峠を越えて川汲側・同左に台場山登山口・手前は函館川の国道へ下りる舗装路。


↓ 台場山登山口の林:ほとんどブナに覆われている。少しダカンバが混じる。


↓ 台場山の土塁を囲む斜面のサラサドウダン:高木層のダケカンバの下層にサラサドウダンの亞高木層の形成が見られた。


↓ 台場山から川汲温泉へ下りる痩せ尾根に作られた歩道(150年ほど前に幕府軍が台場山を往復した古道):処々にブナの古木が点生していた:150年を超える樹齢と思われた。不良木で伐り残されたブナと考えられる。


↓ 古木の点生する周辺のブナ林(純林)は樹齢100年未満であろうか。


↓ 大木が並び立っているがほぼ150年未満か?(通直なブナである。幕府軍が行き来した以降に更新したブナ?)


↓ ブナ古木の周りを幼齢なブナ林や幼齢なダケカンバ林が囲んでいる。敗戦後の交信であろうか?


↓ 材のように供されなかった不良木の姿:


↓ ウダイカンバの枯損木にクマゲラの食痕:嘴を起用に使って採餌していたようすが見て取れる。人呼んで「タワーマンション」


↓ ブナ古木(母樹の役目をはたした)の周りに更新して間もない幼齢なブナ林。


↓ 標高を下がると植林地が現れだした(幼齢のブナ林が乾燥土壌に成立)。ここに下りてくるまで植林地はない。急峻な地形で植林は困難だったのであろう。


↓ 何故ここにヒメコマツが植林されているのか?:旧椴法華村の村の木は「ゴヨウマツ」らしい。これとかかわりがあるのだろうか。



**明治の夜明け当時に砲台跡や当時の古道**
**古道沿いや付近の森林のようす**
**植林できない程の急斜面の連続**
**ブナ古木の周りの幼齢ブナ二次林と幼齢ダケカンバ二次林**
**ヒメコマツの植林**
**台場山山頂にサラサドウダンの群落を見た**
etc.