2007年9月16日日曜日

幌尻岳・戸蔦別岳

↑’07.09.16幌尻岳・戸蔦別岳
(糠平川コース)ぽろしりだけ2052.4m(三角点:2052.39 m)・とったべつだけ1959m
日高の主峰ポロシリと橄欖岩の岩稜トッタベツ

日程】:【2007年9月14日(金)~18日(火)

ルート】:【14日:函館~沙流川沿いの振内町“山の駅ぽろしり“~15日:~国道237号線を2700m東進右折~オタリオマップ川~豊糠~糠平川沿い~車止めCo480m~北電道路(未開放)ほぼ6.5km~Co760m北電取水ダム~渡渉数回2.8km~Co900m幌尻山荘~16日:~Co1549m命の泉~・2052m幌尻岳~Co1600m七つ沼カール~・1959m戸蔦別岳~・1981m中戸蔦別岳~・1055m六の沢~幌尻山荘~17日:~振内~18日:函館】

メンバ】:L:TakahashiTake SL:Hasegawa FanclubHidakamountains

行程】:【9月14日(曇り):函館(9:30)→振内(16:00)→15日(曇天後雨) :振内(8:45)→発電ダムサイト(11:00)→幌尻山荘(13:00)→16日(早朝豪雨のち曇天):山荘(5:00)→山荘(17:00)→17日(曇のち小雨-夜豪雨):山荘(13:00)→取水ダム(15:00)→振内(18:00)→ぬかびら温泉入浴(19:30)→18日(雨):函館(2:15)】

三角点】:点名 幌尻 等級 二等三角点 地形図 夕張岳-幌尻岳 WGS84緯度 42°43′09.9665経度 142°40′58.4171標高 2052.39m座標系12 X -142165.343 m Y 35455.227 m 所在地 平取町幌尻1143林班ホ小班 所有者 日高北部森林管理署  設置 大正2年7月31日 観測 平成16年8月12日 標石右奥80cmに慰霊碑 AY00043S:J1UpXp】 :戸蔦別岳の山頂はケルンのみで、三角点はおろか標示板すらなし。 
コースの地質】:20万分の一地質図を見ると、振内から東方の日高山脈主崚の戸蔦別岳に至る登山コースは、神居古潭山地~白亜系凹地帯~日高山地のそれぞれの地形的特徴で南北に並んでいる。糠平岳を主峰とする神居古潭帯は比較的ゆったりした地形であり、ユックルベシュベ沢から日高町のチロロ川にぬけるあたりの南北方向は凹地帯で段丘が発達している。日高山地は急峻な山地である。神居古潭帯は後期白亜系<9700~6500万年前>の苦鉄質深成岩類、凹地帯は前記白亜系~始新世の堆積岩類、日高山地は幌尻岳の後期白亜系堆積岩類、戸蔦別岳の超苦鉄岩類と地質的特徴でもある。5万分の一地質図を見ると、車止めゲートからチャート、細粒輝緑岩、砂岩、粘板岩、輝緑凝灰岩、輝緑岩、緑色片岩、角閃石、斑糲岩。戸蔦別岳~中戸蔦別は橄欖岩、角閃岩、片痲岩だ。渡渉しながら渡島半島ではなかなかお目にかかれないな~と・・・興味深くもあり渡渉に精一杯でもあり…だった。




山行(糠平川コース)
幌尻岳額平(ぬかびら)川コースは、数ある山の中でも特異な存在とされるだけあって、日本百名山をめざして「最後に残した山」、「全国からそんな人たちの予約が多いのだ」と幌尻山荘の管理人は話していた。事故を起さないために、入山数日前から下山日までの気象情報をチェックして出かける。増水の恐れがないかどうかが重要。それでも入山後に沢が増水してしまったら、無理せず幌尻山荘で待機。強行下山は決してしないことだそうです。(幌尻岳安全登山ガイド抜粋:以下同)
特異①
糠平川の渡渉:雪解け時期は股下まで、あるいは渇水時期でも膝程度の水深があります。そのため、沢用の足回りは必携です。さらに、増水に対する注意も必要です。糠平川は水源地がカールで水を集めやすい地形である上に、渓谷が深く刻まれているので、雨になると急激に水位が上がります。渓谷にいる登山者は逃げ場がありません。
特異②
強行登山・装備不足:増水したときの額平川:増水した川を強行下山しようとして、流れに飲まれ帰らぬ人となったり、途中まで歩いたものの戻ることも行くこともできず、沢の途中でビバークしたりする事故が後を絶ちません。下山を急ぐのは、日程に余裕がないことが最も大きな原因でしょう。経験、体力、装備の不足から行程が遅れ、暗くなってからほうほうの体で山荘にたどりつく登山者もよく見かけます。
特異③
安易なザイル使用は危険:「増水時の渡渉はザイルを使えばよい」と言われますが、みようみまねで使うとかえって危険です。安易にザイルに頼らず、沢が減水するのを待つのが鉄則です。日高山脈の他の沢で、操作に熟達していない登山者が渡渉時にザイルを使い、操作を誤って3人が流され死亡する事故が起きています。
特異④
最近のおもな停滞・事故:19997月:大雨による増水で27名が山荘に停滞。管理人の連絡により、道警ヘリから食糧補給が行なわれる。減水を待って一週間後に自力下山。なお、強行下山しようとして管理人に止められた人もいた。 20017月:大雨による増水の中、帰りの飛行機に間に合わせようと12名グループが強行下山。リーダーの男性1人(道外在住)が死亡。 20038月:ツアー客を主とする29名が、台風による増水で山荘に停滞。管理人の連絡で、自衛隊へリによる食料補給と救出が行なわれた。



電力会社のダム電力会社が管理する道路はここまで敷設されていた。
一般車両は7km手前のゲートが車止めだ。ゲートに車をデポしてダムまで2時間程度歩くことになる。
函の谷や切り取られた岩壁を眺める。車止めから、いわゆる日高層群の中に入るようだ。
岩壁にねっぱった植物も目を楽しませてくれる。

幌尻山荘】 発電ダムサイトから、沢靴に履き替えて入渓する。
多少の雨はあったが水の深さは膝程度であった。
ありがたいことに、しばらく雨が降らなかったおかげで、糠平川のこの水量は通常より渇水なのだという。

遡行中は静かな雨の中だった。降り出した雨で我ら一行だけで誰も登ってこなかった。
谷壁に現れる岩模様や、沢身を埋める転石に目を奪われる。
渡島半島ではあまり 目にすることがない「白地に緑色の紋様」など、日高層群の中を歩いているのだろう…岩石を品定めしながらの沢遡行は飽きることはない。
腰まで没する渡渉もないままに、入渓後2時間ほどで幌尻山荘に到着した。
山荘は連泊組の3人と2人組と私たちだけだった。
前日の情報だと予約の人数が52人だったから、混み合う山荘に濡れた体でやり過ごすのを覚悟していた。
しかし、ありがたいことに予想に違い、山荘宿泊はだいぶゆったりしてすごすことができた。
予約でいっぱいの日が多かった今夏であったから、こんなことは久し振りだという。
それでも、ザックは地下倉庫に収めること等、混み合う山荘のシキタリは一応指示された。
三人組、2人組ともに「100名山最後の山」として関東地方から来訪したそうだ。
彼らのために雨は止めばよいが、夜半から篠つく雨となって激しくトタン屋根を叩いていた。
今年からバイオトイレ運転のために水力発電が稼働していた。
余剰の電力は照明に利用されていた。消灯時間まで明るい山荘で、これも快適だった。


七つ沼】 カール底に大小の沼が八個見えた。モレーンンが堰となって沼を形成しているのがわかる。
向こうの雲の中に隠れる山はエサオマントッタベツ岳1902m

七つ沼圏谷】 幌尻岳の肩が雲の中に隠れている。撮影位置は、トッタベツ岳の西肩からである。
:カールは幌尻岳とトッタベツ岳の間の東側に発達していた。新冠川の沢頭、源頭部、源流部である。
早朝まで豪雨が続いたがから七つ沼はそれぞれに満水状態だった。
これらの沼は通常は夏を過ぎると乾くらしい。
 七つ沼カールにテントを張り幕営する者の言い分は、そこは「天井の楽園」だそうだ。
カールバンドが見えた。青空がチョットのぞいた。

 【七つ沼のひとつ】 左手の沼のほとりにキャンプされた跡がある。テント場は砂地になっていた。
たき火の跡もあり、流木、枯れ木の無いところだから、たき火は明らかにハイマツを伐ってやったという。
ここは国定公園特別保護地区。「日高での幕営には焚き火がつきものと公言する方もいる」と、地元メンバはは考え違いの登山家を嘆いていた。
「流木のある沢ならまだしもカールでの炊き火は絶対止めてもらいたい。」と言う。
カールの砂地からは過去に埋められた缶やビンがよく出てきた。

↓ 【七つ沼】 ガスの中から幌尻岳の肩が見えたり隠れたり、小さな青空が覗いたりしていた。
カールバンドも見えてきた。ナキウサギの声も聞こえてきた。
同行の者がムックリを奏でた。
カールバンドに届いて幽玄な響きとなって、短い糸の震動を口蓋で増幅させるだけだから音量は小さいが、大円形劇場にそれが鳴るのだった。ひととき人の声が途絶えた。
大岩をめぐりゴミの有無をチェックする地本メンバ。


↓【トッタベツ岳~中トッタベツへの稜線 トッタベツ岳は無標だった。
ケルンが積んであるだけだった。主稜線上の第2峰と聞いていたからチョット驚いた。
なによりもトッタベツ氷期等から知名度が高いからだった。
中トッタベツへの稜線はほとんど橄欖岩だった。
西に傾いて並んでいたが方形節理は巨大だった。表面は黄褐色に汚れていたから素顔は見せてくれない。
蛇紋岩も同色の色だから、含有量の多い金属の酸化した色だと思われる。

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中トッタベツは通称だそうだから地形図に無い呼称だ。
ハイマツが発達する橄欖岩の急な凸型尾根を一気呵成に六の沢出合に降り立った。
標高差800mを一気に、標準コースタイム2時間のところ1時間10分で下りたのは、「六の沢出合から山荘までの川が増水しているから明るいうちに余裕を持っておりたい」との地元メンバの思いからだった。
かなりハードな下り方であった。私の膝は限界付近を調整しながら懸命に下っていた。
六の沢で沢靴に履き替えた。六の沢はそれほど増水していなかった。
六の沢をヒョイッと渡って本流の右岸に出ることが出来た。
ここまで来ても、地元メンバは本流の最後の渡渉は難しそうだと判断していた。
踏み跡、薮の中、倒木をくぐり、最後まで右岸を山荘が見える所まで下った。
渦巻く本流の渡渉地点には丸太が掛っていた。
管理人が水力発電用の取水口管理のために造作したもので、ありがたく利用して難なく山荘にたどり着いた。
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 後で聞いたが、日高の観測所ではこの度の連続雨量が80mmを超えていたそうだ。15日(土)の晩から雨が強くなり屋根を叩いた。16日()の早朝には額平川は濁流と化していた。

 連泊組と下山するNさんは下山できず減水を待つことになった。経験者の談では「急峻なカールから流れ出る水は、雨が止むと12時間で退ける。」のだそうだ。天候次第という条件付で5時に山荘を出発した。

 命の泉は噴出する冷水。北カールに上がる尾根に出ると風が強い。強風ならば撤退だ。ほどなく踏み跡は北カール内に入り風が弱まった。幌尻岳の山頂は暴風の中だった。かなり寒い。防寒着を着た。

 メンバの無線で「額平川は減水してきているが下山者はさらなる減水を待っている」とのことだった。メンバは天候の変化の先を読んで「予定通り決行」と指示した。

 台形をして大きな山の幌尻岳の東を「肩」と呼んでいた。七つ沼カール下降点まで来た。風は弱まり雨は止み沼が見えてきた。落石の危険を冒して、カールバンドの間に出来た凹地を、慎重にカール底に下り立った。

 トッタベツの山頂はガスの中だが、暖かい。十勝平野は雲海の下。周囲の山々の頂は雲の中だった。
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トッタベツ亜氷期 ポロシリ亜氷期とは(日本の氷河の年代観) (日高山脈の氷河作用
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日高山脈の氷河作用<Late Quaternary Glaciations in the Hidaka Range>http://72.14.235.104/search?q=cache:7rydLG8LwmoJ:glacier.ees.hokudai.ac.jp/sympo2000/iwasaki.pdf+%E6%B0%B7%E6%9C%9F%E3%80%80%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%99%E3%83%84&hl=ja&ct=clnk&cd=7&gl=jp
 岩崎正吾 (北海道大・院)・澤柿教伸 (北海道大)・平川一臣 (北海道大)<Shogo IWASAKI,Takanobu SAWAGAKI and Kazuomi HIRAKAWA (Hokkaido University)>キーワード:氷河作用, 氷河の消長, 氷河地形, ティル, 日高山脈<:glaciations, glacier fluctuations, glacial landforms, till, Hidaka Range>
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 日高山脈における氷期の氷河作用については,1950年代から1980年代にかけていくつかの研究がなされたが,議論の基礎となる野外資料はほとんど示されなかった.このため従来の研究で明らかにされた日高山脈の氷河作用は,その信憑性を含め多くの問題が残されていた.この問題を解決すべく筆者らは1994年から,氷河地形が最も広く分布する日高山脈北部を研究地域として現地調査を行ってきた.その結果,多数の指標火山灰と明瞭な変形構造を持つティルを発見し,記載する事ができた.これらに基づいて明らかとなった研究成果の要点は,次の 2 つである.すなわち,(1) 氷河作用を複数の指標火山灰によって編年できたこと,(2) 地形からは認識できない氷河の消長と,それに関わる氷河上・氷河底の環境を,氷河堆積物の層序や層相に基づいて明らかにできたことである.
 氷河の消長
 氷河の消長が多くの指標火山灰によって編年された地域は,エサオマントッタベツ川流域とトッタベツ川流域であり,その主要な結論 (図 1) は以下の様にまとめられる. (1) 最終氷期の氷河最拡大期 ( ポロシリ亜氷期) の氷河は,支笏降下軽石 1(Spfa-1, 40-42 ka, 酸素同位体比ステージ 4) の降下頃に谷氷河となって最も前進した. (2) クッタラ6 火山灰 (Kt-6, 85 ka, ステージ 5a-5b) の降下頃(最終氷期初期) の氷河は,カール底直下において前進・後退を繰り返していた. (3) 最終氷期極相期(Last Glacial Maximum) 頃の氷河拡大期 (トッタベツ亜氷期) の氷河の拡大範囲はカール周辺に限られ,恵庭 a 降下軽石 (En-a, 17-18 ka, ステージ 2)の降下以前に最も前進し,その後退過程で少なくとも 4 回の停滞期・再前進期があった. (4) 洞爺火山灰 (Toya, 100-106 ka, ステージ 5d) の降下に先行する氷河作用の存在が確実になった.その時期はエサオマン氷期と呼ばれ,酸素同位体比ステージ 6 に位置づけられる可能性が高いが,さらに古いステージが含まれる可能性もある.
 氷河上環境 (火山灰による氷河表面被覆)
 トッタベツ亜氷期の厚い融氷河流堆積物中には,全層にわたり En-a 火山灰 (17-18 ka) のパミス粒子が多量に混入する.このような En-a の産状は,エサオマントッタベツ川流域,トッタベツ川源流域,そして七ッ沼カールにおいて認められる.これは火山灰が氷河表面を覆ったことによって差別的アブレーション (differential ablation) が生じ,氷河が急速に消耗したことを示唆する.最終氷期の日高山脈には, En-a 火山灰の他にも支笏・洞爺火山群を主な給源とする複数の火山灰が降下したと考えられ (図 2),それらの火山灰による突発的な氷河表面被覆は,当時の氷河のマスバランス・動態に極めて大きな影響を与えたと予想される.
 氷河底環境 (氷河底基層の変形)
 トッタベツ川源流域には,デコルマ面や複合面構造,リーデル剪断面 (図 3) などの脆性破砕帯に特有の変形構造をもつ堆積物が分布する.その剪断センスと緻密さから,この堆積物は氷河底基層の変形 (bed deformation) によって形成されたティルと考えられる.このティルの形成期がポロシリ亜氷期の氷河最拡大期であることから,当時の氷河はベッドデフォメーションを重要な地形形成プロセス・氷河流動メカニズムとして滑動していたと考えられる
 まとめと今後の課題
 日高山脈における第四紀後期の氷河の消長は,地域特有の氷河上・氷河底環境の影響を受け,古気候変動とは単純にはリンクしていなかったと考えられる (図 4).今後は,氷河底環境が氷河の流動に対してどの程度の影響を与えていたのかについて,ティルを力学的に解析することによって検討していく予定である.
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 図 4 気候変動に対する山岳氷河の応答モデル図 3 ポロシリ亜氷期のデフォメーションティル図 1 日高山脈における氷河の消長とその編年 1?6は酸素同位体比ステージを示す.A: 岩崎ほか (投稿中), B: 岩崎ほか(印刷中),図 2 調査地域に分布する可能性が高い指標火山灰の噴出年代と推定層厚本研究によって日高山脈で発見された火山灰には下線を引いた.

 日本の氷河作用の年代観Chronological aspects on glaciation in the Jananese Islands>
岩田修二(東京都立大学)<Shuji IWATATokyo Metropolitan University)>
キーワード:氷河地形,火山灰編年,最終氷期,ステージ4Glacial landformsTephro-ChronologyLastGlacial periodMIS4>
 ①モレーンが山間の急な渓谷内に位置する日本では,氷河拡大期の編年はなかなか進まなかったが,広域火山灰の研究が進むにつれて,堆石堤の時代が火山灰の年代から決められるようになった.これによって,炭素年代ではカバーできなかった5万年以前の最終氷期前半の氷河前進の年代があきらかになってきた.図1にこれまで明らかにされた氷河前進期を地域ごとに時間軸上にならべた.
 ②わが国にも最終間氷期より古い氷期(酸素同位体ステージMIS6)の氷河地形が存在することがあきらかになっている.日高山脈のトッタベツ川流域では大規模な氷食谷はToya降下以前に形成されており,鹿島槍ヶ岳東面大谷原の終堆石丘はTt-Dにおおわれている.so-4に覆われている白馬岳東面の喪原期堆石丘はMIS5dの可能性もある.
 ③最終氷期の前半の亜氷期と呼ばれるMIS4前後の氷河前進は立山西面で確認されている.室堂礫層とよばれている室堂期の氷成・融氷流堆積物には大量のTt-Eが含まれており,Tt-Eの噴出によって氷河が融解したと考えられている.槍・穂高連峰の横尾期の氷成堆積物はTt-Eに,木曽駒ヶ岳東面の低位堆石はOn-Mtに覆われているので,これらの推石はMIS4であろう.日高山脈トッタベツ谷のKt-6直上の氷成堆積物はMIS4かもしれない.日高山脈のポロシリ期に最拡大した氷成堆積物はSpfa-1降下直後に堆積しているので最拡大期はMIS3ある.立山の室堂礫層の最上部の氷成堆積物は溶岩を挟んでDKPに覆われており,木曽駒ヶ岳中御I I期のモレーンもOn-Ysに覆われているので,両者ともM I S 3の可能性が高い.氷河拡大期がMIS34の時期に散らばるのは(1)火山灰の年代精度が低いため,(2)ダンスガー=サイクルとよばれている周期が短く変動の大きな気候変動に対応する氷河拡大であったというこつの可能性が考
えられる.
 ④最終氷期後半の拡大期が25Kaから20Kaに集中していることは,En-a18Ka)とAT24Ka)の火山灰,炭素同位体年代からあきらかである.こMIS2の拡大が,MIS43の拡大にくらべてかなり小さいことは,これまで世界的にはあまり注目されていなかった.
 ⑤最終氷期の氷河拡大のうち,MIS2の氷河拡大よMIS3またはMIS4の氷河拡大の方が圧倒的に大きい理由について,小野は,MIS34には,海水準はそれほど低下しておらず,日本海に対馬暖流が流入して山地に水分を十分に供給したため,MIS2には海面が低下し対馬暖流の流入が止まり水分供給が減ったためと考えた.
 ⑥1990年代になると日本海の海底コアを用いた日本海の環境復元の研究が進み,最終氷期に日本海への海流の流入が止まったのは2 0 K aだけではなく,50Ka80Kaにもおこっていた.いっぽう,MIS2にも表層水が日本海に流入していたという説がある.最終氷期前半のいちじるしい氷河拡大を日本海の環境変化だけで説明するのは時期尚早である.
 ⑦最近では,世界的に見ても山岳氷河はMIS2よりMIS4の方で拡がりが大きいといえそうになってきた.グリーンランドの氷床コアの結果などと考えあわせると,わが国のMIS4の大きな氷河拡大は,地球規模の気候変化の反映かもしれない.
 ⑧しかし,日本列島におけるステージ34の氷河拡大は,他地域のそれにくらべてずばぬけて大きく,水蒸気供給源としての日本海の環境変化の影響も否定しがたいものがある.
1 日本列島の更新世未の山岳ごとの氷河拡大の時期と拡大の程度・たて紬に時間をとり,よこ軸に氷河末端高度(km)をとった.氷河拡大範囲の一部は小疇(1984)の表に基づく・引用した文献は火山灰や時代を明示した最近のものに限った.岩崎・平川19971998a),平川・岩崎・沢柿(1996),岩崎ほか(投稿中),小野(1996),伊藤・満水(1987),町田・伊藤(1996),川遵(1997),伊藤・正木(19871989),長谷川(19921996),柳町(1983)・火山灰の年代は町田・新井(1992)および第四紀露頭集編集委員会(1986)による.最近の10Beによる縞年(青木・今付,1999)は時間不足で載せることができなかった.
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