2012年11月25日日曜日

野田追岳(梯子沢)

 2012年11月25日(日曜日)sakag氏と2人で11月10日の磐石トンネルルートからの野田追岳登頂に続き再び頂を踏むことになりました。
 日を置かずに再訪したわけは、八雲のB氏・Hodu氏らが3年前登頂した梯子沢周回コースの情報を得たからでした。(山行のトラックログ等詳細はSakag氏HPへ)。

↓「梯子沢周回コース」のルート図(クリックで元サイズ:国土地図と5万地質図「濁川を参照した)


◆1 ・八雲町字落部→銀婚湯温泉→下二股沢林道→梯子沢林道→国有林ゲート着→橋梁付近に駐車(印とSP&EP
・ 印のSPを発ち→国有林ゲートを越え→梯子沢林道→「」印の箇所で林道から歩道(幅の広い作業路)へ取り付く
・ トドマツ植林内の歩道上にある四等三角点(新設)を経由し標高点626の東尾根を暫く登ると、展望が開けるピークの西側に立つ鞍部を過ぎて印(野田追側と落部側の分水嶺)に至る
・ 野田追岳を往復
・ 印から分水嶺上の若いエゾマツの社有林とダケカンバ林の国有林を境する境界管理道を進み→崖状斜面を滑り降りる
・  標高点460の下り直ぐの「ブナ巨木」を右折する箇所を(印)→
・ 印からトドマツ植林内の歩道を→青矢印→瘠せ尾根の印へ→(瘠尾根から沢へ)凹型急斜面を沢に下り沢に沿ってEP
◆2 ・2.5万図の周回ルート上の地図記号を見ると 針葉樹林記号(地図記号:針葉樹林)が多く記されています。林道沿いに針葉樹のカラマツ植林は見られますが、ルート周辺の針葉樹はトドマツ植林が殆どでした。

 ・林道から歩道に取り付いて、標高点626までの植生は、ほゞトドマツの植林の中を歩くようなものでした。良く管理されて、間伐も実施されて立派な植林地でした。

 ・626ピークと野田追岳の間は、南に面した凹形の急斜面になっています。幼齢のダケカンバ林の中に背丈の低いトドマツが疎に生立していました。気象環境が植林に不適で、植林地として管理できないほど気象害に見舞われたと思われます。初期のトドマツ植林は、不成績で失敗したのでしょう。失敗した植林の跡地に、ダケカンバが自然更新したもので、今後はダケカンバの二次林として遷移していくのであろうと思われます。つまり植林地として管理することを諦め、自然更新に任せた個所でした。

◆3 ・分水嶺の北側は旭川に本社のある社有林です。やはりトドマツの成績が悪くて、近年、保安林改良事業として、渡島総合振興局によりアカエゾマツに植え改められていました。つまり税金を使って植え直されていたのだ。はたして、財産は会社のもの?国の物?どのように仕切られているのでしょうか。

◆4 ・社有林のアカエゾマツ植林を過ぎて、転落の危険を冒して、崖状斜面に造られた管理歩道を下りました。尾根上に残されたブナ林を460ピーク~Co450と進むと、目を見張る「ブナの巨木」に出合いました。

 ・巨木の陰に回ると、境界管理歩道から分岐する歩道が梯子沢へ向かって下っています。境界管理歩道から離れ、そこは厚い堆積腐植に覆われ、下層植生も貧弱で、程よく管理されたトドマツ林、歩行には極めて心地良いトドマツ落葉の植林地でした。

◆5 ・地形図に雨裂・崖記号があったりする先は、図からも分かるように、瘠せ尾根が南東方向に下っていました。 案の定というべきか、赤みを帯びた樹皮の美しいヒメコマツの林が、瘠せ尾根に生立していました。落部流域以南のブナ林の領域の瘠せ尾根や岩角地に、ヒメコマツが密度高く生立していることが知られています。

 ・瘠せ尾根の先で、歩道が左折して沢へ向かって下りています。沢に沿って、沢の出口まで下降することとなりましたが、河床や小滝を沢歩きムーブを楽しみながらEPへ下りました。なお、ヒメコマツは野田生側には生立せず、次に出てくるのは、遠く日高幌満まで飛ぶという、特異な分布地理を示しています。

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◆1 ・梯子沢の国有林境界付近を大断層が走っています。地形図に崖記号も多く見られます。そんな場所に駐車しました。梯子沢林道を尾根取り付きまで進んみ、時間が有れば、さらに300mほど進むと、貫入岩(石英斑岩)の露頭を見ることができます。

◆2 ・四等三角点を中心としたやや凸型の緩斜面の頁岩(八雲層)域は、トドマツ植林の成績がかなり立派でした。このような八雲層の頁岩の立地は、従来、渡島半島でブナの巨木が梢高く林立する美林が多く見られました。ここもそんな類似の地形でした。

◆3 ・まもなく、成績優秀なトドマツ植林地を過ぎると、頁岩域から、野田追岳~626ピークの貫入岩(石英斑岩)のドーム域に至ります。

 ・野田追岳を往復して管理歩道を、左にエゾマツ幼齢林を見て、崖状斜面に至ります。そこは転げ落ちそうな歩道です。貫入岩域と八雲層頁岩域との境界に相当する場所になっていました。

◆4 ・境界管理歩道から梯子沢へ歩道が分岐下降するあたりは「ゆったりした地形」でした。→トドマツ植林地を過ぎて、瘠せ尾根が見える頃、峨峨とした地形が見えます。頁岩域から「集塊岩域」に至るのですが→瘠せ尾根から谷の中と、雨裂・崖記号が多い地形をEPへ向かい、植林地内を下ることになります。
<工事中>

2012年11月16日金曜日

袴腰岳

 11月の袴腰岳は、例年、雪を踏むか否か(?)が心をよぎる。登山者の姿も消え、静かな森歩きも楽しめる。丁度そんな季節である。案の定と言うべきか、暖秋の頂上は、うっすらと淡雪があっただけだった。寒気の吹き込みがあって横津山塊に黒雲が来たり行ったりしていた。幸い降雪や雨もなく、風の寒さがあるだけだった。二の腕をだしたら冷気が腕に刺さった。氷点下の気温に、風速10mが加わったからであろう。  むしろ車に乗ったと同時に時雨て、霰て、霙てきた。我が車は夏タイヤだから、林道に雪が積もればやばい。車載の温度計は3℃を示していた。気象予報士の教えは「5℃で霰、3℃で霙」と言っていたが、赤川林道の体験はそのとおりだった。


1 ←登山口(標高566m)通称「第二登山口」(標高487mにあるのは通称「雨量観測所登山口」と言われている)。周辺一帯はトドマツ植林地で、アカエゾマツも植林されている。
 第二登山口から通称ガンピ岱(標高700m台)の間はトドマツ植林地を行くことになる。ここで注目されるのは、トドマツ林内にエゾマツ(植栽木)が見られることだ。おそらくだが、当初、このあたり一帯は、皆伐跡地にエゾマツが植林された。その後成績が芳しくなく、あらためてトドマツに植えなおされたのであろうか。トドマツ植林地内に、最初の植林と思われるエゾマツが点生しているのが、樹肌や幹の直径からそれと分かる。(1960年代までの袴腰岳登山案内書が有れば見たいものだ。ガンピ岱に入る前の「エゾマツ林」について記載されているのではと思う。)




 


2← 袴腰岳への往路の途中にある三角山(889m)からガンピ岱(トドマツ植林地を抜けると700m台のダケカンバ二次林に至る)を望む。

 ダケカンバ二次林の後背に広がる「雑木林とトドマツ植林地」が、パッチ状に配置されている。その先に、新中野ダムそして函館市街・津軽海峡が見渡せる。

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往路                    
 ↓
自宅9時
登山口10時:1時間
登山口10時~三角山11時:1時間
三角山11時~ 
袴腰岳12時:40分
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復路
 ↓ 
袴腰岳12時~
~  三角山12時30分: 30分
三角山12時30分~登山口13時10分:40分
登山口13時10分~
帰宅13時55分:45分
 
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<以下工事中>

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↓3 静かで物音ひとつしないトドマツ植林地。歩道は向こうまで一直線に続いている。針葉樹の厚い堆積腐植はふかふかして、疲れた足にとても心地よいものだ。



↓4 頂上ははうっすらと積雪があった。チシマザサの葉っぱはうっすらと雪で白い。土壌はやや氷結ぎみで、やや堅かった。周辺の展望は、山並みは薄墨画のようで、低く黒い層雲の下にあった。



↓5 頂上のダケカンバ。小枝の表皮が剥がれ、皮がぶら下がっていた(
冬のダケカンバの同定に御あつらい向きの形態)。花芽(雄花)はほとんど着いていなかった。来年のダケカンバは凶作となるか(?)



↓6 ミヤマハンノキの花芽(雄花)は、例年どおり枝先にたくさん着いていた。ミヤマハンノキは、豊凶差の大きなダケカンバと違い、豊作・凶作の年による変動が少ない樹種のようだ。



↓7 ダケカンバの幼樹。冬芽が4mm厚程度の氷に覆われて、冬芽の周りは氷で透明に光っていた。パッチ状のトドマツ植林地が黒く、
三角形凸状の庄司山が遠くに見える。



↓8 ウスバフユシャク(?) 三角山のササ生地付近の歩道の枯れ葉の上に、フユシャク(の仲間)が争うような激しい乱舞をしていた。何をしているのだろうか? 「虫たちの越冬戦略」(朝比奈英三)によると、真冬だけに活動する昆虫だという。<北海道では、10月~12月中旬まで現れ、ホソウスバフユシャクという種類のみが翌春3月~4月ごろ出現する(同書)>晩秋のブナの森で、特にササ生い地のササの葉っぱの周りで、よく見ることがある。さて標準和名は?

















<工事中>

2012年11月10日土曜日

野田追岳(磐石岳トンネル)

1↓ 国土地図(野田追岳705.8m)クルックで元サイズ

 中央山稜に立つ「乙部岳」から、「鍋岳」~「野田追岳」~「磐石岳」そして噴火湾へと東西に並ぶ稜線は、落部川と野田追川の分水嶺になっています。

 この分水嶺は、明治の初めの年代では、今と違って膽振國と渡島國の国境になっていました。国境だけでなく、森林の地理的分布の上からも無視できない「分布上の境界」と、ローカルですけれども、それと考えられます。

 一例を示すと「ヒメコマツ」の分布は落部川流域に密度高く自生しており、野田追川流域には同種は自生していない等です。(東に遠く離れて日高幌満に飛んで分布していますが…)

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 .磐石トンネルの北側が登山口(左図の大円)になっていました。トンネル出口の東側に駐車スペースがあり、反対側に古い林道が発見できました。

 今回は、トンネル出口~林道を少し辿って~トドマツ植林地~四等三角点~・ 独立標高点493~・同500~・同460~野田追岳のルートを往復しました。

 国土地図に画かれている歩道が今回の主なルートになりますが、記録されたトラックログは同行の一人歩きの北海道山紀行に記録されました。
 
 地図の三か所の赤矢印が示しているのは、下二股川、そして梯子沢に延びる林道へ下る歩道のようです。それぞれ、しっかり刈り払いされて立派な歩道に見えました。<後日、八雲のBさんが3年前に登ったという梯子沢からの周回コースのGPSトラックログが、Sakagさんから送られてきました。周回コース後日登頂した記録はSakag氏HP

 野田追岳から北側へ延びている歩道(破線)は、国有林と民有林の境界に設けられた管理歩道です。分水嶺上の歩道と同様に、刈り払いの時差はあるだろうけれど、標石(境界標)が配置された、野田追川からの上等な登山路として利用できるのではあるまいか。

 標石は立派なもので、御影石に「丸宮」の刻印がされていました。これは皇室林野局の標石で、昔日「落部御料」とか「野田追御料」と呼ばれていたものです。馬に跨った森林官が通っていたと考えてもおかしくないくらいでした。幅の広さと整地に仕方からそれと見てとれて、同行の者たちは「一級国道だ」と言いながら、管理歩道の立派さに感嘆していました。

 アップダウンのキツイ分水嶺でした。黒松内層の火山角礫岩部(磐石岳方向から続いている)、八雲層(頁岩)そして貫入岩(石英斑岩)の山頂へ至る。

 標高点500から、急傾斜を下ると窪地に下りる場所が 「断層」線上(分水嶺の左右の沢が超えているような場所)です。 凸538を鞍部に下りる斜面は火山角礫岩部から凝灰岩部層変化する場所です。 しっかり鞍部へ下りると、そこはゆったり歩ける頁岩の八雲層になっていました。 標高点460を過ぎてから、同行者は「地図から読めない崖状の急斜面だ」と四つん這いになってやっとの思いで上がったところは、頁岩域と貫入岩域の境界、野田追岳の山体を形成する領域と思われる石英斑岩が現れる場所でした。
  
<以下工事中>