2013年12月22日日曜日

川汲温泉から古道(旧川汲山道の間道を往復)を利用して、台場山に登ってきた。旧川汲山道の間道の詳細はSakagページ参照

・ 全体にミヅナラを主とした二次林だが、急斜面が功を奏してブナの幼齢木群も多くみられた。案の定尾根には伐り残された古木が散見された。台場山周辺はダケカンバ二次林。二次林の成因は
山火事か、植林の失敗か?

登山口から石英斑岩、・306と・342間の鞍部から凝灰岩へ、・342から上部の台場山一帯は粗粒玄武岩域!
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2013年12月1日日曜日

七飯岳

札幌のYamautさんを迎えて、4人で七飯岳に登ってきた。七飯岳は、夏山も雪山も手軽に登れる山として函館圏の登山者に有り難い山である。

もう7年前になるが彼と某沢の遡行に同行して以来だ。それ以降の彼は、ブログ上でその活動ぶりは拝見していた。

その様子も彼から直に伺える。再会はさらにうれしいことだった。何事も止める理由は何でもつくから、一般に事柄を継続するの困難なことになる。しかし彼によると、山の登るチャンスはいくらでも思いつくようだ。

山に登る機会はいくらでも見つけられる彼。長年培われた豊かなちからがあるからであろう。

私とShoさんは吹き溜まりなどに用心してワカンを携行した。思わぬ雪の量で、早くもCo500mでワカンの装着を強いられた。頂から東峰への稜線上は、膝上まで埋まることもあり、ワカンは多いに活躍することとなった。
登山口から頂~岩場周回~登山口までのルート図
登山口の鳴川砕石場は①鳴川安山岩(Co200m~400mの間:貫入岩)~浸食進んだ森林地帯は②峠下火山砕屑岩(Co400m~600mの間:鮮新世前期)~牧場から七飯岳山頂を含む一帯は③横津岳下部溶岩(Co600m~1000mの間:鮮新世後期)と続いていた。Co1000mラインの上の溶岩台地は④横津岳上部溶岩となって、横津岳山体の最上部を形成している。(*地質ナビ

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Co550の最後の急登を行くShoさん。ダケカンバ二次林は、樹冠の雪、碧い空とのコントラストは、これぞ雪山の魅力。雪山シーズンインといったところでも、大いに満足の山行であった。


雑木林を抜けると、横津岳下部溶岩域にある凸型緩斜面~台地状の牧場に至る。雪だまりが、この時期にしては早くも堤のように形成されていた。しまった雪に足を取られながら雪堤を乗り越えた。


三角点に立てられた頂上標識から、すっかり雪化粧の駒ケ岳が目に入ってくる。

函館平野に大曲線を描いている工事中に新幹線高架に、しばし見とれて、駅は、水の消失は、札幌への延伸は・・・しばし新幹線談義。
メンバーは SakagYamauchiShoTaniTaoの5名だ。其々の山登りを介して旧知の面々である。頂に居る間は青空があって北に駒ケ岳、南に津軽海峡、眼下に函館平野の様子も楽しめた。

札幌のやMamautッちゃん


Shoさん、Taniさん

伝説の人(?)と記念写真のOotubさん

七年ぶりの再会を記念してパチリ!

山頂から東方にある岩場。初めての二人を連れて・・・。地形偵察の斥侯役Sho氏が、左下方に小さく見える。

東峰の岩場を下る。チムニー等もあって、近間でもあり、ロープワークの練習に良いか(?)と思ったことだった。

岩場訓練になかなか良いじゃないか!心地よさそうに下るYamautさん、後ろにTanさん。

2013年9月7日土曜日

横津岳(春の大滝)

「春の大滝」は旧横津岳国際スキー場へ向かう道路(780m付近)から、雪融け時期に華厳の滝風の豪快な滝が見られ、大川の沢にこのような大滝はあったか(?)と、始めて見た者は驚かされる。

横津岳登山道路に沿って流れる大川は、横津岳・雲井沼・横津岳気象レーダーを源流として、JRおおなかやま駅付近に流れ豊田で久根別川に合流している。


雪融け時期を過ぎると、この滝に気付く人はまずいないだろう。人呼んで横津の幻の「春の大滝」。どれだけ大きな滝なのか・・・。研究熱心なSYO氏の誘われ、大川上流の「幻の滝」の正体を見届けに出かけた。

旧函館よこつゴルフ場跡北東端(横津道路沿いの立入禁止のゲート)から、往時の研修施設に向かう舗装道路を下って大川に入渓(550m)した。

三つの大きな治山ダムを越え、遡行中は急流・大石が続いて、オーバーであるけれど、どこも滝の流れのような急流を行くようなものであった。いくつかの滝を越え、10mの滝はロープを出し、流れ盤のオーバーハングの滝は右岸を大高巻きして滝の上に立った。

標高815m付近で行動中止とした。右側(南東側)に比高15m程の斜面のブナ林越しに、手の届きそうなスカイラインが見えた。そこは市街地の高速道路まで下る幅の広大な通称バカツネ尾根だった。

チョット上流を覗いた。ササや灌木に覆われた緩やかな渓床が見えた。ブナ林にダケカンバが混じる林が覆っていた。春の大滝の上に出ていたのだった。沢歩きはここで終わりにした。

春の大滝の正体を見た。上部のバカツネ尾根上部の溶岩台地220haにものぼる広大な雪融け水を集めて流れ落ちていたので、融雪季が目立つ水流になっていた。そして、春の大滝は横津道路から真正面に見ていたので、急な一本の滝に見えていたのであった。

↓ 『ウォッちず』6000 赤フラックは最終到達地点標高815m
春の幻の大滝







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入渓後ほどなく三つの治山ダムに出会う。
大石は、「私は自然になりたい画家犬塚勉」の「暗く深き渓谷の入り口」に見えた。印象に残った渓谷だった。
<「自然」の前に平伏すように生活を律し、「自然と一体化した農的な暮らしの中から生まれる作品を」と願った犬塚に見えていたものは何であったのか、新たな課題を持ち絵に向き合いたいと考えるようになりました…略・・・2012 年 5 月 28日; 犬塚 陽子>

治山ダムを過ぎると左に小さな沢が流れていた。奥に開けた空間が広がっているように見えた。往時のスキー場の斜面であり、第3スキーリフトに通じている小沢に違いない。谷壁はブナの小林に覆われていた。おそらく工事屋さんが行き来した小沢であろうか。

大川の本流に沿う地質は、標高120mから火山砕屑岩類、同720mから横津岳下部溶岩、同1000mから山頂まで横津岳上部溶岩の層準になってそれぞれを覆っている。大転石の下の河床や谷壁に左図のような色合いの凝灰角礫岩、凝灰岩、集塊岩が現れていた。

いくつかの小滝があるが、前述のような岩はフリクションが効いて心地よく前進できた。
750m付近の10m滝。板状節理の溶岩が順層になって滝頭にのっかっていた。
横津岳下部溶岩域であろうか?順層そしてオーバーハングの板状輝石安山岩の滝頭を、体をくねらせながら滝上に立ったトップのSHOさん。
最後の滝(800m)だが、下部溶岩を覆う上部溶岩がオーバーハングそして順層になっていて、上に進める弱点が見つからない。ロープをたたんで、右岸のブナ林を高巻きした。
最後の滝を高巻きして渓床に立てた。そこは手の届くような場所にスカイラインが見えた。通称バカツネ尾根(溶岩台地)に届いた。渓流は緩やかになった。溶岩台地をうねる小さな沢が続くのであろう。滝のある渓流はほぼここで終わり、前進中止とした。

ブナ林にダケカンバガ混じる。サワグルミが沢沿いに立派に生立している。チシマザサが茂る。そんな植生が広がっていた。







2013年6月9日日曜日

「羽衣の滝」の沢(松倉川)

この沢のルートは、SHOさんが永らく心に温めていたものです。[羽衣の滝]の滝上に出て、滝水の源流に向かうという計画でした。次図は遡行図

2013年6月7日金曜日

峠丸山~松倉山(宮野ヌタップ)


2013年2月17日(日)に機会あって帆越山~太田山~相泊山の三山に登った時に「雁毛山と峠丸山と松倉山」を指呼できた。峠丸山は、同16日(土)丸山(鵜泊)334mに登った日の2山目として目指した山だった。

目ざす2山目の峠丸山は、前が見えないほどの猛吹雪で車のボンネットに見る間に尺の積雪あって、峠丸山を目前にして山行は断念を強いられ、再挑戦を誓って撤退した山でした。<同行は、北海道の2.5万地形図掲載の山を全山踏破する目標を持つKo氏>

また岳友のSHO氏に、「ヌタップの雁毛山!」は来シーズンの積雪期山行の候補リストとしてに話していた。彼から、未だ初夏というのに早くも誘いあって、予定季節外だったが、猛烈なササ漕ぎの「ヂダケワラ」が予想される雁毛山をメインにして・峠丸山・松倉山の三山を目指した。

雁毛山と・P451の間の沢は、ヒメコマツの日本海側自生北限であることから、かねて念願の沢域として訪ねたい林でした。SYO氏のはからいでその小さな林を訪ねることになったのです。「鶉川ゴウマツ自生北限地帯」はよく知られています。

さらに北方に位置する自生地の雁毛山は知る人ぞ知る北限の自生地。


↓ 写真
この度の成果:宮野集落に流れ出てヌタップを源流とする「小川」から北に分流する沢(・標高点451と雁毛山の間を流れる)の出口付近で、・標高点321直下の岩尾根に立つ自生ヒメコマツをワンチャンスでゲットできた

一方、アポイ岳西方の「幌満ゴヨウマツ自生地」はヒメコマツの太平洋側の北限域でよく知られています。しかし東大雪の北限にある自生地は、地理的分布域として興味深い、やはり知る人ぞ知ると言える事柄でしょうか。

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◆峠丸山
コースタイム: 5:00函館-7:40入渓-8:48峠丸山-9:40入渓地点
コース状況/その他周辺情報:  造材搬出中でトラック走行中で、宮野から丸太を集積する土場まで最良路!その先の林道事情で雁毛山は断念した。


その先を雁毛山へ延びる林道は、3.5m丈のチシマザサに被さって車を痛めて危険林道だった。次回としたリベンジはヒメコマツ狙いであるから、ヌタップから沢を詰めて雁毛山に登ることになろう。

写真1 入渓地から水流は少々だったが、沢中は土砂の崩壊による泥濘が続いて、スパイク長靴が功を奏した。      

倒木が多い小沢を進む。表層崩壊を短い間隔で繰り返す雪崩斜面は、頁岩とシルト岩の互層が見えた。黒松内層だろうか!入渓地から小沢は断層に沿っているようだった。

訪ねた人はいるのだろうか。三角点の周りはチシマザサがかなり濃かった。丈3.5mはあるだろうか。根元直径は20mmを超えていた。

・谷壁はオオサクラソウ咲く良い季節だった。

長靴で踏みつけそうなタケノコだけを拾うように下山した。
再び断層線に沿った小沢沿いの崖:白色は珪藻質シルト岩か!褐色は頁岩。


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◆ 松倉山

コースタイム

 



2013年4月15日月曜日

TR4東山

TR4東山higasiyama標高(m)78.56。N41°48′53″.6128、E140°46′45″.1747。設置S29年。ICタグあり。・我が家から一番近くにある三角点に行って来ました。といっても日頃ジョグに利用している東山段丘面上の耕作地隣接の植林地です。耕作地に囲まれた植林地は市有林になっており、アカマツやカラマツの植林地です。

・ 農道から20mばかり林に入ると表示板が目に入りました。落ち葉に埋まっていたり、保護石もなかったりでチョット発見しにくく手間取りました。一応GPSにメモっていたことを頼りにし、見当をつけてあたりを見回し、それと思うところの落葉落枝を足で払っていくと、標石はすぐに現れました。

・ 御影石で土壌表面に位置と同じ高さに頭を出しました。点の記を見ると埋設年がS29年となっていますが、四等三角点はこの年に設置された場合が多いことに気がつきました。四等三角点を設置した時代背景がどの様なことがあったのだろうか。

↓ 落葉層とほぼ同高に三角点がありました。下のカラマツの落葉に埋まった標石、奥に三角形のトタン製の表示板が見えます。見出し標は黄色の三角形です。見出標の面の方向は、標石の埋まる方向と45°位違っています。

なんら問題はないのですが、明治の仕事人と今の仕事人の違いが見えたような気がしました。何はともあれ、見出し標の面を標石の埋まっている方向へちゃんと向ければ、仕事人も気分が良いのにな~

仕事ぶりを「なるほど」とを見る人と信頼関係ができるのにな~。小さな事柄だけれど・・・それぞれの仕事人が心を込めた事柄が目に見える社会。そのようすが人々の心をとらえるのではないだろうか。




↓ 下の4枚の写真は見出し標示板を中心に東・西・南・北方向を4枚写真に写しました。偶然と思いますが、標石を界にして標石の北側にカラマツ林が、標石の南側にアカマツ林が植栽されていました。




↓ ササはクマイザサです。点の記では「所有者:函館市」になっているから、おそらく市有林なのでしょう。

↓ 三角点から、林の樹幹越しに函館山がチラリと見えますが、他に見とおしの効く三角点ははっきりしません。三角点設置の昭和29年から時間が経過したから周囲の森林が成長してしまったからでしょうか?

↓ 根倒しになった倒木が、林床に横たわっていました。周りの低木やカラマツ、アカマツの細さからチョット不似合いの大木です。ハリエンジュですが、先駆種で、成長は早く、寿命短しですから「森の来歴」を、しばし思いめぐらしました。
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・春は光から? 空の色から? 気温から? 太陽高度から?
・我が家の春は、
・例年孫たちの誕生祝いから「春が来た」感が深まります
・4月に入り、暖かくなりかけてきたと思ったら、
・氷点下の℃になったり、雪の舞う寒い日がきたりします
・お彼岸頃の天候のようです
・故郷の一望千本サクラが開花したと知らせています
・今年の春は早いのか遅いのか、でも着実に訪れています
・季節の遅速にとらわれず
・太陽に高さがあるので春の森を散策しようとおもうのです

2013年4月12日金曜日

亀田川中流域の森

笹流ダム、高区浄水場、低区浄水場等の上水施設は亀田川の中流域にあります。森林はよく整備されているので、森の散策愛好家にはとても好ましい地域となっています。

・まるで都市公園風でもあり、山を越えて新中野ダム方向へ下りることもでき、深い森林の雰囲気も楽しめる地域です。 北海道野鳥愛護会の探鳥地紹介にも取り上げられています。

↓・亀田川沿いの洪涵地に若いカワラワンノキ(別称コバノヤマハンノキ)の二次林が生育していますが、この場所は、地下に光ケーブルを敷設した工事跡に更新した林です。


↓・河岸の崖です。ヤマハンノキの林床になりますが、玉石がごろごろしていて、年によっては流水に洗われる礫崖でしょうか。青色はキクザキイチゲ、黄色はツルネコノメのようです。


↓・水源地の森のは、亀田川沿いの下部作業路と一段上の緩やかな尾根に上部作業路が北西方向へ伸びています。管理が良いですから散策には便利です。エスケープ歩道がそれぞれの箇所をあるから周遊もできます。トドマツ植林の間の下部作業路です。

水源の森百選にも選ばれています。

2013年4月11日木曜日

TR3赤坂

地形図を眺めると里山や耕作地風景を楽しめそうな点がそこここにあります。幾つかめぼしい箇所を拾ってGPSにアップロードしています。

鳴川岳を終えたたあとたっぷり時間があるので、GPSに記録されていた「TR3赤坂・325.3m」にAnpと行ってきました。横津岳への旧冬山コース(大中山駅~横岳荘)上にあって、作業道路になっているから薮なしであろうとして決定しました。

横津道路から作業道路に沿って下がるのいいのですが、大川台地の果樹園の入ったことがないので自動車専用道路から登っていくことにしました。道路終点のcnt270mまで舗装されていて、地形図から想定外のことでした。

休耕畑と植林との境界になる舗装道路終点に路駐しスタート10:00。古くから使用されてきた横津への旧道だが、深く浸食がすすみ、露出する赤土が滑り敷石が乱雑でやや歩きにくくなっていた。

ほぼ一直線に登っていく。「3千ボルト送電線」が並行して走っている。今では廃止されたゴルフ場用であろうか。思いの外だった歩程350mばかりの短い登りでTR3赤坂の標石に立てた。


周囲の植生をメモして帰った。どうして明治時代の測量官は「赤坂」と命名したのだろう・・・歓楽街を思い出したこともないだろうからといろいろ話しながら下ったが、確かに「赤粘土は滑るし急坂だ」?


確かに見とおしはいい土地で、大きな弧を描いて新幹線の橋げたが函館平野の真ん中を走っていた。