2012年12月24日月曜日

袴腰岳(南西尾根)

2012年12月24日(月曜日)袴腰岳南(西尾根ルート)に登った.
◆ 車をデポした所は気温-11℃で、頂は厳しい寒さであるが無風だった.雪に覆われて美しいダケカンバ低木林、頂上では初めてみるダイヤモンドダストに見入った.12月下旬、この時期に袴腰岳に登るのは初めてで、それも満足の山登りだった.メンバSho・Tao.
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◆ 赤川林道の雪道を突っ込んだが車はCo370止まりだった。つぼ足でスノーモービルの轍の林道を進み、河床路を渡ってから赤沼神社へ分岐するCo580で、轍は赤沼神社方向へ向きが代わっていた.ここで各々ワカン・スノーシューを着用した。さらに赤川林道を進みCo615から分岐する作業路に沿って南西尾根ルートがある.風景や森林の様子を楽しみながら袴腰岳へ向かう.
集合地発  6時30分→ (50分)
駐車地点  7時20分→ (80分)
Co615    9時00分→(100分)・・・袴腰岳南西尾根取り付き
袴腰岳   11時10分→ (70分)
袴腰岳発  11時45分→(135分)
駐車地着   14時00分→ (30分)
集合地着  14時30分

◆◆コースにそっての写真

↑1 Co700から.先週に登った烏帽子岳への古赤沼ルート.
スカイラインの左端に見えるササ急斜面の白銀を登ると点名横津台635.6.
同右端の大きい白銀は烏帽子岳南東面雪崩斜面.
撮影地点は植林地域の上限部. 

↑2 Co800の凹型急斜面を行く.ブナ林にダケカンバが混じる.
植林上部域を抜けて・・・. 

↑3 Co950から袴腰岳ピークを望む.
周囲はダケカンバ高木林域.

↑4 Co1000のダケカンバ林域からいよいよダケカンバ低木林域へ.


↑5 Co1050から頂のある稜線を囲むダケカンバ低木林.
密生した低木林を登る.ワカンで行くには頑張ればいいだけだ.
スキーで行くときは密林がスキーの処理を邪魔する.したがって疎林を選びながら、積雪条件によって雪崩の危険を感じながらの慎重さが求められる.
雪面がガリガリの時もある、そんなときはおおいに緊張する.

↑6 標高1108.4頂上標識はもう時機に埋まっているだろう.
色々なモンスターに見える.樹氷たち.

↑7 Co1100からモンスターに見える向こうに、烏帽子岳~雪原の横津台地が広がる.

↑8 Co1050のダイヤモンドダストを映すテクニックないから映らないが、低温そして無風の状況だった.

↑9 Co490ある中野ダム自動雨量観測所登山口.


2012年12月15日土曜日

烏帽子岳(古赤沼ルート)

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除雪された林道をCo680まで突っ込めた.木材集積土場に車をデポした(赤○).おおむね古の赤沼ルートに沿ってトドマツ林~ブナ林~ダケカンバ林と進んだ(赤→).点名:横津台を経由して烏帽子岳を往復した.往時の道標鉄柱を、一か所目はCo730、二か所目はCo1020の2か所で発見した.
集合地発  7時00分→(60分)
除雪終点  8時00分→(80分)
△点935.6  9時20分→(70分)
烏帽子岳 10時30分→(50分)
駐車地着  12時20分→(60分)
集合地着 13時20分
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Pc150028

◆ ↑ 1078烏帽子山頂
2012年12月15日(土曜日)烏帽子岳に登った(上図:山頂1078m写真).
スリガラスを通して見たようなぼんやりした太陽がかかっていた.
ベールのように厚みを増した高層雲.中に点のような太陽があった.
たしかに、天候は下り坂に向かっていた.
6時のラジオは午後から雨、続いてみぞれを予報していた.

集合場所で西の山嶺は靄が掛かって見えない.
西嶺にある点名:亀川に登頂する予定であったが、空模様から転戦を強いられた.
午前中勝負で、赤川林道から、古の赤沼ルートを横津台経由で烏帽子岳を往復することになった.
美原の中心街で、Syo氏は太い丸太を満載したトラックを見ていた.
「赤川林道の奥から搬出した材に違いない」と彼は考えていた.
彼の想定に従い、向かう山を赤川林道方向へと決定した.
市街を行く丸太満載のトラックから、彼は伐採地をどんぴしゃり当てた.
ラッキーだった.Co680mまで除雪された林道は続いていた.

スノーシュー1、アルミワカン1、木製ワカン1の3人で出かけた。
ワカンの斜面歩行では積雪を抜け通すところがあって難儀した.
スノーシューのラッセルが有って大いに助かった.
改めてスノーシューの威力を再認識させられた.



◆雪上昆虫:沢すじからかなり離れた高い尾根の上、標高700mでかなりの数がはい回っていた.

Pc150045
↑Co700 クロカワゲラの類(セッケイカワゲラとして有名)
ラン藻等を食べる.12月末から現れる.

Pc150046
↑Co700 クモガタガガンボ:♂
-10℃以下に雪温が下がるとこの虫は見かけなくなる.立木の根元等から積雪の下に入りこむと考えられている.11月中旬から四ヶ月間現れる.

2012年11月25日日曜日

野田追岳(梯子沢)

 2012年11月25日(日曜日)sakag氏と2人で11月10日の磐石トンネルルートからの野田追岳登頂に続き再び頂を踏むことになりました。
 日を置かずに再訪したわけは、八雲のB氏・Hodu氏らが3年前登頂した梯子沢周回コースの情報を得たからでした。(山行のトラックログ等詳細はSakag氏HPへ)。

↓「梯子沢周回コース」のルート図(クリックで元サイズ:国土地図と5万地質図「濁川を参照した)


◆1 ・八雲町字落部→銀婚湯温泉→下二股沢林道→梯子沢林道→国有林ゲート着→橋梁付近に駐車(印とSP&EP
・ 印のSPを発ち→国有林ゲートを越え→梯子沢林道→「」印の箇所で林道から歩道(幅の広い作業路)へ取り付く
・ トドマツ植林内の歩道上にある四等三角点(新設)を経由し標高点626の東尾根を暫く登ると、展望が開けるピークの西側に立つ鞍部を過ぎて印(野田追側と落部側の分水嶺)に至る
・ 野田追岳を往復
・ 印から分水嶺上の若いエゾマツの社有林とダケカンバ林の国有林を境する境界管理道を進み→崖状斜面を滑り降りる
・  標高点460の下り直ぐの「ブナ巨木」を右折する箇所を(印)→
・ 印からトドマツ植林内の歩道を→青矢印→瘠せ尾根の印へ→(瘠尾根から沢へ)凹型急斜面を沢に下り沢に沿ってEP
◆2 ・2.5万図の周回ルート上の地図記号を見ると 針葉樹林記号(地図記号:針葉樹林)が多く記されています。林道沿いに針葉樹のカラマツ植林は見られますが、ルート周辺の針葉樹はトドマツ植林が殆どでした。

 ・林道から歩道に取り付いて、標高点626までの植生は、ほゞトドマツの植林の中を歩くようなものでした。良く管理されて、間伐も実施されて立派な植林地でした。

 ・626ピークと野田追岳の間は、南に面した凹形の急斜面になっています。幼齢のダケカンバ林の中に背丈の低いトドマツが疎に生立していました。気象環境が植林に不適で、植林地として管理できないほど気象害に見舞われたと思われます。初期のトドマツ植林は、不成績で失敗したのでしょう。失敗した植林の跡地に、ダケカンバが自然更新したもので、今後はダケカンバの二次林として遷移していくのであろうと思われます。つまり植林地として管理することを諦め、自然更新に任せた個所でした。

◆3 ・分水嶺の北側は旭川に本社のある社有林です。やはりトドマツの成績が悪くて、近年、保安林改良事業として、渡島総合振興局によりアカエゾマツに植え改められていました。つまり税金を使って植え直されていたのだ。はたして、財産は会社のもの?国の物?どのように仕切られているのでしょうか。

◆4 ・社有林のアカエゾマツ植林を過ぎて、転落の危険を冒して、崖状斜面に造られた管理歩道を下りました。尾根上に残されたブナ林を460ピーク~Co450と進むと、目を見張る「ブナの巨木」に出合いました。

 ・巨木の陰に回ると、境界管理歩道から分岐する歩道が梯子沢へ向かって下っています。境界管理歩道から離れ、そこは厚い堆積腐植に覆われ、下層植生も貧弱で、程よく管理されたトドマツ林、歩行には極めて心地良いトドマツ落葉の植林地でした。

◆5 ・地形図に雨裂・崖記号があったりする先は、図からも分かるように、瘠せ尾根が南東方向に下っていました。 案の定というべきか、赤みを帯びた樹皮の美しいヒメコマツの林が、瘠せ尾根に生立していました。落部流域以南のブナ林の領域の瘠せ尾根や岩角地に、ヒメコマツが密度高く生立していることが知られています。

 ・瘠せ尾根の先で、歩道が左折して沢へ向かって下りています。沢に沿って、沢の出口まで下降することとなりましたが、河床や小滝を沢歩きムーブを楽しみながらEPへ下りました。なお、ヒメコマツは野田生側には生立せず、次に出てくるのは、遠く日高幌満まで飛ぶという、特異な分布地理を示しています。

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◆1 ・梯子沢の国有林境界付近を大断層が走っています。地形図に崖記号も多く見られます。そんな場所に駐車しました。梯子沢林道を尾根取り付きまで進んみ、時間が有れば、さらに300mほど進むと、貫入岩(石英斑岩)の露頭を見ることができます。

◆2 ・四等三角点を中心としたやや凸型の緩斜面の頁岩(八雲層)域は、トドマツ植林の成績がかなり立派でした。このような八雲層の頁岩の立地は、従来、渡島半島でブナの巨木が梢高く林立する美林が多く見られました。ここもそんな類似の地形でした。

◆3 ・まもなく、成績優秀なトドマツ植林地を過ぎると、頁岩域から、野田追岳~626ピークの貫入岩(石英斑岩)のドーム域に至ります。

 ・野田追岳を往復して管理歩道を、左にエゾマツ幼齢林を見て、崖状斜面に至ります。そこは転げ落ちそうな歩道です。貫入岩域と八雲層頁岩域との境界に相当する場所になっていました。

◆4 ・境界管理歩道から梯子沢へ歩道が分岐下降するあたりは「ゆったりした地形」でした。→トドマツ植林地を過ぎて、瘠せ尾根が見える頃、峨峨とした地形が見えます。頁岩域から「集塊岩域」に至るのですが→瘠せ尾根から谷の中と、雨裂・崖記号が多い地形をEPへ向かい、植林地内を下ることになります。
<工事中>

2012年11月16日金曜日

袴腰岳

 11月の袴腰岳は、例年、雪を踏むか否か(?)が心をよぎる。登山者の姿も消え、静かな森歩きも楽しめる。丁度そんな季節である。案の定と言うべきか、暖秋の頂上は、うっすらと淡雪があっただけだった。寒気の吹き込みがあって横津山塊に黒雲が来たり行ったりしていた。幸い降雪や雨もなく、風の寒さがあるだけだった。二の腕をだしたら冷気が腕に刺さった。氷点下の気温に、風速10mが加わったからであろう。  むしろ車に乗ったと同時に時雨て、霰て、霙てきた。我が車は夏タイヤだから、林道に雪が積もればやばい。車載の温度計は3℃を示していた。気象予報士の教えは「5℃で霰、3℃で霙」と言っていたが、赤川林道の体験はそのとおりだった。


1 ←登山口(標高566m)通称「第二登山口」(標高487mにあるのは通称「雨量観測所登山口」と言われている)。周辺一帯はトドマツ植林地で、アカエゾマツも植林されている。
 第二登山口から通称ガンピ岱(標高700m台)の間はトドマツ植林地を行くことになる。ここで注目されるのは、トドマツ林内にエゾマツ(植栽木)が見られることだ。おそらくだが、当初、このあたり一帯は、皆伐跡地にエゾマツが植林された。その後成績が芳しくなく、あらためてトドマツに植えなおされたのであろうか。トドマツ植林地内に、最初の植林と思われるエゾマツが点生しているのが、樹肌や幹の直径からそれと分かる。(1960年代までの袴腰岳登山案内書が有れば見たいものだ。ガンピ岱に入る前の「エゾマツ林」について記載されているのではと思う。)




 


2← 袴腰岳への往路の途中にある三角山(889m)からガンピ岱(トドマツ植林地を抜けると700m台のダケカンバ二次林に至る)を望む。

 ダケカンバ二次林の後背に広がる「雑木林とトドマツ植林地」が、パッチ状に配置されている。その先に、新中野ダムそして函館市街・津軽海峡が見渡せる。

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往路                    
 ↓
自宅9時
登山口10時:1時間
登山口10時~三角山11時:1時間
三角山11時~ 
袴腰岳12時:40分
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復路
 ↓ 
袴腰岳12時~
~  三角山12時30分: 30分
三角山12時30分~登山口13時10分:40分
登山口13時10分~
帰宅13時55分:45分
 
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<以下工事中>

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↓3 静かで物音ひとつしないトドマツ植林地。歩道は向こうまで一直線に続いている。針葉樹の厚い堆積腐植はふかふかして、疲れた足にとても心地よいものだ。



↓4 頂上ははうっすらと積雪があった。チシマザサの葉っぱはうっすらと雪で白い。土壌はやや氷結ぎみで、やや堅かった。周辺の展望は、山並みは薄墨画のようで、低く黒い層雲の下にあった。



↓5 頂上のダケカンバ。小枝の表皮が剥がれ、皮がぶら下がっていた(
冬のダケカンバの同定に御あつらい向きの形態)。花芽(雄花)はほとんど着いていなかった。来年のダケカンバは凶作となるか(?)



↓6 ミヤマハンノキの花芽(雄花)は、例年どおり枝先にたくさん着いていた。ミヤマハンノキは、豊凶差の大きなダケカンバと違い、豊作・凶作の年による変動が少ない樹種のようだ。



↓7 ダケカンバの幼樹。冬芽が4mm厚程度の氷に覆われて、冬芽の周りは氷で透明に光っていた。パッチ状のトドマツ植林地が黒く、
三角形凸状の庄司山が遠くに見える。



↓8 ウスバフユシャク(?) 三角山のササ生地付近の歩道の枯れ葉の上に、フユシャク(の仲間)が争うような激しい乱舞をしていた。何をしているのだろうか? 「虫たちの越冬戦略」(朝比奈英三)によると、真冬だけに活動する昆虫だという。<北海道では、10月~12月中旬まで現れ、ホソウスバフユシャクという種類のみが翌春3月~4月ごろ出現する(同書)>晩秋のブナの森で、特にササ生い地のササの葉っぱの周りで、よく見ることがある。さて標準和名は?

















<工事中>

2012年11月10日土曜日

野田追岳(磐石岳トンネル)

1↓ 国土地図(野田追岳705.8m)クルックで元サイズ

 中央山稜に立つ「乙部岳」から、「鍋岳」~「野田追岳」~「磐石岳」そして噴火湾へと東西に並ぶ稜線は、落部川と野田追川の分水嶺になっています。

 この分水嶺は、明治の初めの年代では、今と違って膽振國と渡島國の国境になっていました。国境だけでなく、森林の地理的分布の上からも無視できない「分布上の境界」と、ローカルですけれども、それと考えられます。

 一例を示すと「ヒメコマツ」の分布は落部川流域に密度高く自生しており、野田追川流域には同種は自生していない等です。(東に遠く離れて日高幌満に飛んで分布していますが…)

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 .磐石トンネルの北側が登山口(左図の大円)になっていました。トンネル出口の東側に駐車スペースがあり、反対側に古い林道が発見できました。

 今回は、トンネル出口~林道を少し辿って~トドマツ植林地~四等三角点~・ 独立標高点493~・同500~・同460~野田追岳のルートを往復しました。

 国土地図に画かれている歩道が今回の主なルートになりますが、記録されたトラックログは同行の一人歩きの北海道山紀行に記録されました。
 
 地図の三か所の赤矢印が示しているのは、下二股川、そして梯子沢に延びる林道へ下る歩道のようです。それぞれ、しっかり刈り払いされて立派な歩道に見えました。<後日、八雲のBさんが3年前に登ったという梯子沢からの周回コースのGPSトラックログが、Sakagさんから送られてきました。周回コース後日登頂した記録はSakag氏HP

 野田追岳から北側へ延びている歩道(破線)は、国有林と民有林の境界に設けられた管理歩道です。分水嶺上の歩道と同様に、刈り払いの時差はあるだろうけれど、標石(境界標)が配置された、野田追川からの上等な登山路として利用できるのではあるまいか。

 標石は立派なもので、御影石に「丸宮」の刻印がされていました。これは皇室林野局の標石で、昔日「落部御料」とか「野田追御料」と呼ばれていたものです。馬に跨った森林官が通っていたと考えてもおかしくないくらいでした。幅の広さと整地に仕方からそれと見てとれて、同行の者たちは「一級国道だ」と言いながら、管理歩道の立派さに感嘆していました。

 アップダウンのキツイ分水嶺でした。黒松内層の火山角礫岩部(磐石岳方向から続いている)、八雲層(頁岩)そして貫入岩(石英斑岩)の山頂へ至る。

 標高点500から、急傾斜を下ると窪地に下りる場所が 「断層」線上(分水嶺の左右の沢が超えているような場所)です。 凸538を鞍部に下りる斜面は火山角礫岩部から凝灰岩部層変化する場所です。 しっかり鞍部へ下りると、そこはゆったり歩ける頁岩の八雲層になっていました。 標高点460を過ぎてから、同行者は「地図から読めない崖状の急斜面だ」と四つん這いになってやっとの思いで上がったところは、頁岩域と貫入岩域の境界、野田追岳の山体を形成する領域と思われる石英斑岩が現れる場所でした。
  
<以下工事中>

2012年10月13日土曜日

佐太郎沢

 2012年10月13日(土曜日)。入渓時刻7時50分(Co120m)。行動ストップ11時50分(Co480m)。帰着15時10分(Co120m)。総行動時間7時間20分。
 秋も深まり、早朝にはかなり降っていた雨は上がった。増水を心配したが、ひとまず現場に出かけて判断しようと出発した。思いのほか水嵩は増していなかった。気温は低い。入渓装備を身につけている間は寒さで身体が震えた。私は久しぶりの沢である。行程7km往復、そして源流部の地形図は岩記号や狭いコンターが記されている。同行士らは、今年もかなり沢をこなし、技能と経験を有しているSakagShohir-taniさん三人と一緒だから、ことさらに緊張し心も高ぶり震えていた。

佐太郎沢(5万地質図参照) . 道道八雲厚沢部線から西北方向に分岐する清水川林道を2.9km進んだところに(林道)清見沢支線がある。沢名は「佐太郎沢」だけれど林道名「清見沢」であった。上流にある三角点名「清見岳」をもって林道名に採用されたものであろうか・・・。

 佐太郎沢の入渓地から700m進むと左に「吉野沢」が鋭角度で分岐している。この二股から上流の集水面積は、左の吉野沢流域は2.12㎢ 右の佐太郎沢流域は4.39㎢で、本流域が左の2倍ほどの広がりだ。当然本流側の水量が左を圧倒していた。

 佐太郎沢左岸Co120mから始まる林道清見沢支線は、Co140mに架橋されてその林道は吉野沢の左岸に移って吉野沢を延びていた。
 入渓後、清水林道に懸かる橋の下を潜り、幅広い立派な渓床を300mばかり進むと国有林境界の管理歩道が佐太郎沢を横断していた。

 Shoさんから「ナメ目当てです」のお誘いがあったとおり、入渓後間もなく美しく黄色系の河床が現れてナメが出始めた。

 地質図を見ると、佐太郎沢流域全体は後期中新世末(黒松内層の最上層:火山角礫岩部層(5.2万年~))になる。 岩相は、集塊岩・礫岩・凝灰岩が繰り返し現れて、安山岩溶岩が河床標高で・220m~・300m間に現れることを期待できた。同等の性質を持つ山は崖沢奥~山吹峠の二等三角点釜別~狗神岳に続いていた。その意味で
Sakag・Sho氏が積雪季に登った二等三角点釜別への遡行もまた佐太郎沢と似ているのではないかと思う。

 ナメは、明色で美しい凝灰岩が河床に現れて、靴底にフリクションがよく効いて歩いていると心持ちがたいへんよろしい。ナメよ長く続けよと河床に呼び掛けたくなりながら「ミニミニクワンナイ」を楽しめた。

 繰り返し現れるナメ滝・小滝・小函そしてヘツリは、黒い生物が岩を色取る箇所は滑っていやらしいけれど、他は岩相をよく現出していて手がかり・足がかりに困ることなくグングン行動ストップ地点まで進むことができた。

 2か所の大滝は、岩を前に静かに思索するtani氏のトップでなんなくクリアーできた。ロープワークもおおいに楽しめたし、おおいに満足し、Co480mで出合った大滝を前にしてちょうど正午。
物静かに「午後3時まで下山しなければならない季節になった」というtani氏に従い行動をストップした。 同行の士に恵まれて、緊張も心の高ぶりも杞憂に終わることができた。
......

1 左は吉野沢2.12㎢。右は佐太郎沢4.39㎢。水量も1対2。
  あ


2 佐太郎沢に架かる橋は、吉野沢の左岸へ向かっている
  い

3 ナメ床を「ミニミニクワンナイ」と呼んで、ワイワイ!河床は凝灰質岩


4 溶岩域の河床に、数か所大石が塞き止めていた。石の上は、流域にまれに点生するヒバ
  え

5 大滝を前に、如何して攻めるか、テラスは、薮は、左のシャワーは、この滝の上に出れるか?
  テクニック議論

6 テク1 tani・shoの二人の力を合わせて、一歩前に出た
テク1
 
7 テク2 二人は離れた、トップのリックの重さが気になる?
テク2

8 テク3 さて次の一歩は何処に・・・トップとセカンドの息が合う・・・?見事にトップは滝の上に出た。サポートは滝下へ戻れた(拍手)
テク3

9 正午になった:行動ストップに安堵した。みんなが休んでいる間、背景の写真の滝へ、Taniさんが果敢に試みていた。ルートは見つかるか?集塊岩の岩で何とかなりそうですが如何でしょう!行動ストップ
  行動ストップ

10 沢登りの帰路はうれしい。懸垂下降で10m滝を(洞窟みたいな岩下へ潜らないように右左とコントロールしながら下りる
懸垂10m
  懸垂10m

11 45mロープダブルでダブル5mあまして、全長17mの懸垂下降。支点はミズナラφ14㎝懸垂17m
  懸垂17m

12 早朝は強い雨で冷え込む、遡行中は快晴無風、帰路は雨模様でフロントグラスが濡れた。***と秋の空・・・
  
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2012年9月7日金曜日

蝦夷松山(door to door)

2012年9月7日(金曜日)
蝦夷松山は、横津連峰の支脈が函館市街へ突き出た先に起立している。小さいながら岩のピークがあって、眼下の市街や、海峡越しに本州側を指呼できるのも人々に親しまれるわけである。この頃体質が変化した兆しがあちこちに具現化しだしたと思われる。そんな体に相応しい生活習を・・・と願っているこの頃である。その一環だが、今日はドア トゥ ドアで蝦夷松山を往復した。市街地は未舗装道路を選びながら陣川の栗の木地蔵まで歩いた。栗の木地蔵から歩道に入る。往復ほぼ5時間かけた。

2012年8月11日土曜日

袴腰岳(沢)

2012年8月11日(土曜日)
 「袴腰岳は毎月1度登る」ことを年の初めに誓う。計画どおり実行したのは4年前の一度だけだ。三日坊主と言っていい。何だかんだと計画どおりにいかない年が多かった。袴腰岳は身近ではあるけれど1月~12月まで魅力多い山である。沢からの袴腰岳は、山友のsakag・sho氏らが既にやっていた。何時かは僕も沢からと願っていたが、一人ではなかなか踏み切れないでいた。幸いsho氏から誘いあってsuga氏と三人で出かけることになった。

 赤川林道の災害復旧工事も完了し、通行止めが解除されていた。入渓地点はCo620で、sakag氏入渓地点と同じだ。雲は低いが、後半好天になる予報だった。

 源流を詰める通常ルートは、F3の二股を左に入り、烏帽子岳と袴腰岳の鞍部(通称「憩いの森」)の夏道に抜けることになる。「同じ山を違う沢から、しかも情報のない沢から登るって、本当に楽しいもの」ということで、F3の二股を右に入って袴腰岳の北ピークの岩場をひそかに狙っていた。結果は、Co1040の夏道へ、短縮ルートを選んだ。

 北ピークの岩場狙いは、最後は急斜面だからササは薄くなり、寝たササも無くなり、少々灌木は煩いだろうが、濃厚なササ藪と違って、鬱陶しい藪漕ぎは無いだろうと予想していた。実際はどうであったであろうか。





入渓間もなく「深層崩壊」の土石が谷を埋めていた。風化が進んだ粘土の塊や凝灰岩が累々と重なっていた。
  「深層崩壊」の切断面(頭)の様子。八雲層相当の凝灰質岩石の堆積物のように見えた。深層まで粘土化している様子がわかった。全体は黄褐色っぽいが、緑色も淡く感じられて。
先達らはF1と呼んだ滝で、直登はちょっと無理。ハーケンも効かないだろう滝だった。右の草付きを高巻きした。
同F2。ここもまだ集塊岩・凝灰岩などの堆積物の領域だろう。凝灰岩と集塊岩をスパイク地下足袋の底に感じながら、なんなく中央突破。
先達らが命名のF3の滝に到達した。凝灰岩の領域はこの滝までで、地質図では、ここから上が横津岳溶岩域になっている。
(右F3)二股を右へ入る滝だ。地層の傾斜と斜面の傾斜が同方向の場合を「流れ盤」と言う。まさにここの滝は凝灰質岩の流れ盤になっていた。こんな所は足がかりが安定しない。おまけにスパイク地下足袋の僕は、倒木を利用しながら左から這い上がった。バランス感覚の優れたsug氏は、流れ盤の滝を中央突破した。彼は流石であった。
(右F4)まだ凝灰岩の領域にある。
小滝がいくつか続いて流れ水も終わりかと思いながら藪状の沢を進むと、ミニミニゴルジュが出てきて藪沢から解放されていい気分になった。コメツツジが迫る岩と相まっていい雰囲気だ。
最終水場を過ぎて、涸沢を選択しながら進む、いよいよ藪漕ぎ40分。結構な藪漕ぎだったから夏道に出たときは達成感も大きかった。
 某氏の慰霊碑だが プレートが落ちて無くなっていた。
 山頂は濃霧の中。びしょびしょの下着を替えたり、山頂ラーメンをsug氏に作ってもらったり、いつも頂は楽しい時だ。
 三角山に豪勢な案内板。誤字脱字が目立った。標高が883mと書いていたが、地形図の独立標高点は889mだ。
  森林地帯に、びっくりするほど立派な道しるべ。
  第二登山口 しっかりした標識。
  第一登山口  利用者が少ないと見えて草に覆われていた。室蘭からの登山者が「第一登山口は閉鎖されていた」と山頂で話していた。登山口閉鎖と勘違いさせるほど草が生えていた。