2009年9月21日月曜日

見市川本流~白水沢川~遊楽部岳越え~太櫓川左股へ:(新頂上1277m)

↑’09.09.21~22遊楽部岳:見市川本流白水沢
遊楽部岳:見市川→白水沢→遊楽部岳新頂上(新頂上1277m

渡島桧山地方の第2峰遊楽部岳の南西流域:(以下:同行のHozum氏に感謝してTao記す)
・立木の利用を控える森の入口を「森境」と言おう.「森境」の奥の向こうには「歩道も林道もない.伐採も植林もない.見市川源流域は木材利用と全く無縁な広大な領域が広がっている.同行Hozm氏!

2009.09.21(月) 国道雲石橋1km上のCo120m「入渓」→Co710m二股「C1」→22日「C1」→遊楽部岳・1277m新山頂→夏道→太櫓川・左股川コースCo240m「登山口」

・【2009.09.21(月)】・国道に架かる雲石橋から雲石峠側へ1km先の小沢を伝って見一川本流へ下りた(8:00)。河床の砂利を踏んで滝ノ沢出合いに進むと橋梁建設現場に出くわした(8:10)。巨大さに、何者か?と一瞬驚いた(Co130m).↓<国道から工事道路を伝えば滝ノ沢出合いへはチョット近道だったか>


・滝ノ沢出合を越えて見市川本流にスリットダムとコンクリートダムが2つ直近に並ぶ(砂防指定地:Co140m).滝ノ沢出合いからは、歩道も林道も伐採も植林も控える領域に入る.ここは「森境」だ.砂防には「砂防境(?)」はなさそうだ?.
↓ 




・方形節理の巨大な岩石が現われる.入渓地点の変朽安山岩、凝灰角礫岩など(臼別層)の領域からユーラップドーム域(隆起花崗岩類)に至ったことを知らせる巨岩が立ちはだかると、そこは通過困難な函だった(8:50).
・磨かれた岩と鮮やかな緑色の深き淵の函入口:本流は奥壁を右へ曲折する.右岸から小滝が落ちているがあ、小滝の上を高巻くことになる.



・高巻き:大高巻を避けて、土壌層が落ちた露出した基岩(凝灰岩質角礫岩)を向こうの薮へトラバースした.微妙な身体さばきが求められた.



・”函”の上流側(Co190m):函の入口から出口まで花崗岩類だ(10:40).ここから上流に少しの間臼別層が出てすぐ花崗岩域が現われる.
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・見市川本流イワナ沢出合い付近の表層地質.図の上の水線の分岐は左が本流、右が熊追沢.・花崗岩類をえぐって曲折する”函”<両岸が岩で囲まれた渓谷>.・”函”は右岸を高巻き上流へ出た.
<註> ・Ub=前期中新世の臼別層(主に変質した火山角礫岩や凝灰角礫岩からなる).・Da=デサイト.・G=白亜紀花崗岩類(角閃石黒雲母花崗閃緑岩主).黒太線=断層



・臼別層の巨岩(火山岩)が本流を堰き止めるように.おそらく右岸から崩壊したものであろう.臼別層は地すべり地帯をかかえることが多い(Co190m、11:00).



・熊追沢出合.右が熊追沢で粘板岩・チャート・ホルンフェルスの中を流れる.熊追沢の源流の分水嶺直下にCu・Pb・Zn鉱が見いだされているようだ.(Co230m、11:20)



・本流を行く.入渓点から280m二股白水川出合い付近まで、ほとんど標高(沢程5000m)を稼ぐこともなく、高巻きに一ヶ所難儀したけれど、ひたひたと沢身の遡行を堪能できた.(Co240m、11:25)



・280m二股:右に白水沢川、左に熊石岳(1082m)方向への流れ.河岸段丘の林床は整地されたように無植生状態(何故か?)だった(280m、11:55).



・河岸段丘面のブナ林が岩礫に埋まり立枯れたもよう.上流(下図)の山体崩壊に起因すると思われる.(Co310m、12:15)↓ 



・470m二股から300m下流:右岸の山体崩壊のようす<白亜紀の花崗岩類域に先白亜紀のチャートなどが露出するヶ所>.(Co420m、12:40)↓



・470m二股:左は臼別川本流へ越す.右が遊楽部岳へ向かう..ここから高度が上がる巨岩帯だ.そして滝群への突入だ.(Co470m、13:00)↓



・C1予定地の700m二股へ一直線.タイムアウトは無しだ.遅れは許されぬ.ガンガン登る・登るのみ.↓

 




・700m二股:右上に”C1”を造成工事.流木少なく生乾きのミヤマハンノキ程度で焚火は貧し.狭い岩礫河床のテン場は心許なし.ゴロ石を並べ整地して、エゾヨモギを敷いたら、しっかりしたテントが張れた.予報の雨近し時刻だ.ちらし寿司にミックスサラダ+蟹を載せて、贅沢な夕食は頑張ったご褒美だった.(Co700m、14:00)↓  
<この流の上がテン場>

 <貧しき薪を集めて:根っこ付きミヤマハンノキ>

 <↓チラシ鮨+ミックスサラダ+毛蟹+マイタケと豪華>
<↓土木工事で良くできたテン場>



・【2009.09.22(火)5時30分C1発:歩き始めて振返れば、岩子岳や遠く霞んで砂蘭部岳が谷間の向こうに現われた.



・雨予報対策で、出だしから黄色の合羽(下)を着用して.800m二股~1020m三股の水場まで伏流水.たまに水の流を見る.(6:17)↓ 



 ・赤チャートが出てきた.花崗岩類の真ん中の沢ん中なんだけどな~?.(Co990m、6:50)↓


・1020m三股:旧山頂(三角点)へは落ちる水の方向(真北)へ直進右折する.新頂上へは、①水場の上で左に向かう または②水場からぐるっと右岸を数メートル下がって、240°(S60W)の方向に向かう小沢の薮をかき分けて進む.新山頂へのこだわりがあって水もしっかり確保・・・頂きめがけてドンと突っ込む.(Co1020m、7:10)↓


・Co1020mから小沢を進むが、チシマザサのトンネル、ミネアザミのトンネルを過ぎてイワノガリヤス・オオバショリマの谷型草原へ出た.(写真はイワノガリヤス群落の谷型を行く:1180m、8:20)↓



・こだわりの新山頂へ:1020m三股からの道程↓
・地形図Co1200m付近の崖記号は、急斜面の短茎草原だったので何事もなし.


・<コンター1200mの崖記号を過ぎると、新頂上に近づくにしたがって傾斜がだんだん緩くなり、チシマザサ群、そしてハイマツ(ミヤマハンノキ混じる)群と続いて、夏道近くの緩斜面ではなかなか強力な薮を漕ぐことになった. ↓



・ドンピシャと夏道にでた.しかし、新山頂の標識類が見つからない.あっちこっちと歩いて散らかった看板類が目に入った.「”白水岳分岐”・”見市岳まで0.6km”・”ようこそ熊石町”」等の看板があった.白水岳コースの歩道もかすかに、それと痕跡が確かめられた.・<見市川・臼別川・太櫓川の三河川の分水点にいる.1272m、10:00>↓
・ こだわりの新山頂には標識の類はなんにもないことが確かめられた.無ければ無いで寂しいものだ.「薮から飛び出てドンピシャと目指す場所にタッチ」できないのは何とも寂しいかぎりだった.↓



・定高の尾根を三角点(旧山頂へ)向かう↓<遊楽部岳は遠目にテーブル状の山容だ.定高の距離は700mと長い>> ↓




・三角点(旧山頂)にタッチした.新山頂(1277m)に標示の類が無くてタッチできなかった分、標石と標柱をしっかり手を触れて.(1275.7m、10:20)↓




<点名 見市岳 標石の回りの土は埋設時より高くなっていると思われ、幅広い尾根・森林の発達がその原因であろうか!>↓





・<渡島半島第2峰としては写真のごとく樹高が高い.このあたりのしっかりした高山帯は、気象から考察すると1500mは欲しい.1500mより山低くしてハイマツ群落が出るにはヤセ尾根・岩尾根など地形要素が必要だ.遊楽部岳では長い定高の尾根が延びて、かつ幅広い尾根があって、写真のごとく林に囲まれ展望が悪い> 



・<点名 見市岳 種別等級 一等三角点 地形図 室蘭-遊楽部岳 緯度 42°13′17.7701経度 140°00′58.1819 標高 1275.66m(X) -197524.633 m(Y) -19304.397 m現況状態 正常 20080710所在地 久遠郡せたな町字富里257、258林班 点の記図=選点M29.8.20,館潔彦氏、観測H14.8.28.>↓
・<北海道の三角点の歴史は明治29年7月が最初で古部岳、千軒岳、八幡岳の選点日はそれぞれM29.7.4、M29.7.18、M29.7.23 選点者は館潔彦氏によるものだった.>
<見市岳近隣の一等三角点の位置>↓




・点名 臼別頭 種別等級 三等三角点 成果状態 正常 地形図 室蘭-遊楽部岳 緯度 42°13′37.5837経度 139°59′56.7549標高 1251.53 m現況状態 報告なし 00000000所在地 久遠郡せたな町字臼別↓
<臼別頭 背面に「北561」の刻みあり.こちらは凸尾根.埋設時の土が痩せて失われている.チシマザサとハナヒリノキがその進行を抑えている.↓



・冷温帯と亜高山帯(亜寒帯)の界は渡島半島では地形の配置が手伝って標高600mあたりが妥当でだろう.森林管理的にはそうありたい.ブナ林の上限もおしなべて標高600mとしたい.部分的には地形によって上下するが、臼別頭から下る夏道では、風障尾根の915mにブナの小林があった.<他の山岳の例:孤立木(1.5mの幼木)で1000m程度においても見たが.> 



・ブナ美人:500mから登山口までの尾根道は、歩いて気分の良い尾根道のブナ林を堪能できる.特にブナ二次林は美しい.「ブナ美人」と呼ばれるに相応しい.登山口近くのすらりと伸びた若いブナ林は特にお薦めだ.この尾根はブナ林の探勝地として候補に揚げておこう.(登山口は240m、15:20)↓

 

・遊楽部岳登山路維持に功績多き故人を偲んで:「自然愛好と安全登山を願って 1990.9.9故嵯峨賢三氏レリーフ建立会」↓・ 


・Tao 記