2012年5月7日月曜日

サクラ(五稜郭公園)

.  函館海洋気象台ホームページをみると「サクラの開花」を観測したと広報されていた。平年並みの観測日の5月2日だった。観測場所は五稜郭公園で、気象台が定めた木(標本木)で観測されたものだ。

.  開花の広報があって以降、4日~5日にかけて北アルプスで吹雪による山岳遭難、つくば市に凄い竜巻被害があったり、その寒気団が今も東~北日本を覆っている。その分さくら散る期日は遅れているようだ。松陰町桜ケ丘通りから五稜郭公園を巡って、我が家から往復した。万歩計は1万五千歩だった。

.  昔日、桜ケ丘通り奥の義姉の家をよく訪ねていたころは、サクラが満開の時期であっても近隣の住人が往来するだけで、人通りは普段とそう変わったものではなかった。今日訪ねて車、人の往来の多さにあらためて感心した。たしか私の記憶では、函館在住写真家野呂希一氏がさくらの写真集を発刊してから、人々の評価が始まったと思う。

.  五稜郭公園も桜ケ丘通りと同様に、まだ花は散ることなく満開の樹冠が堀端に続いていた。寒気団が居坐ることは、桜ファンにはうれしいということであろうか(?)。

. 写真↓ 桜ケ丘通:樹幹はごつごつしていて古木然とした姿であった。今後10年、我が行き方と照らしてこの桜並木もどんな姿でいるであろうかと!

写真↓ 五稜郭公園のお堀端は、ジョグコースを兼ねている。近隣の高校生運動部員が走っている。少女も負けじと走っている様はほほえましい。

2012年5月6日日曜日

511.8峰(点名:寅沢)

  山登り再開である。胸の筋肉がニカワの如くバリバリしていたが、今日の山登りの後、胸回りが晴れ晴れと軽快になった。藪を漕いで、胸回りの稼働域をおおいに広げたからだと思われる。完治2~3か月の宣告だったが、寅沢に登った今日は、骨折後二ヶ月目にあたり、ひとまず完治したことを自らに宣告することにしようと思う。

落葉広葉樹林は新緑の展開前で、林内はまだ見通しが良く、沢は音を立てて流れ、夏鳥が囀り、林床の春植物を目にしながら膝ほどのササ藪を心地よく歩けた。ブナの新緑がチョロチョロと、ベニヤマザクラも咲き始めた。今春は他地域で大凶作の下りへのコブシの花だが、寅沢に花着きの良い個体を発見できた。今日はまことに気持ちのいい山歩きになった。
Sakag氏のHPを頼りに山に向かった。ルートはほぼ彼の歩いたコースにしたがった。SHO氏同行。
車止めは壊れた橋梁前。渡渉は林道が寅沢の右岸に移る(河床路)手前になる

寅の沢林道通行止ゲート:壊れた橋梁前。ここから取り付きま尾根まで林道
を歩いた


林道から下りて、取り付き尾根への渡渉地点:昨日までの雨でかなり増水し
ていた

ミズナラの根元にヒメカンスゲの花:渡渉してすぐの尾根への取り付きにて。
奥に斜面のササの薄さが見て取れる

季節は移る:林は明るいが、林床の早春のステージはもう第二のステージへ
移っていた(オオバキスミレ)

頂きに近くなると岩尾根が現れる:スゲ類に覆われていたと思われる林床は、
裸同然になっていた。シカがかなりの密度で冬を越した個所か?

ルート上にシカの足痕が目に付いた:写真はトチノキの樹幹の周りがしっかり
食べられた痕で、形成層がぐるりと失われていたから、立ち枯れは間違いな
いであろう。

林床は裸:岩尾根とは言えこれほどの裸地はシカの生活跡としか思えない

右上が三角点「寅沢」:頂の北側は急な崖、南側はブナの急斜面になってい
た。


三森山は松倉川の向こう(東側)に立つ。周囲の山々は岩峰らしき峰々が目
についた

三角点「寅沢」:東西に伸びる峰の東側の方に寄った場所に設置されていた。
⇒  三角点の周囲の植生:ツツジ型のブナ林のメモ
<H1=ブナ4、ミズナラ3、エゾヤマザクラ2、アブラホ2。H2=ハウチハカエデ3、サワシバ3、アオダモ2、ドロノキ2、ナナカマド2。S=クマイザサ3、ヤマツツジ3、ミヤマガマズミ2、ノリウツギ2、コメツツジ1。>

2012年5月2日水曜日

カタクリ咲く散歩コース

季節は確かに進みます。松前町は1日咲きました。前日今季初の夏日を観測した札幌で1日ソメイヨシノの開花が宣言(札幌管区気象台構内標本木《ソメイヨシノ》)されました。4年ぶりに函館市より早い開花でした。

この季節の楽しみは、早朝ウォークコースに咲くカタクリを発見することです。肋骨三本骨折のへまをやらかした身体でしたけれど、今年も雑木林の林床は早春の花たちが変わらず咲いてくれました。コースにヒメニラが自生していることにも初めて気づきました。

閉塞的な資本主義、機能しない民主主義、弊害が目立つ技術など不安な時代に代わるものを見つけられるのでしょうか。私たちは「誰かが使えばいい」といいながら森林の手入れをする古老の話ではありませんが、次代を生きる者たちの幸せを希求して生きる社会を、物や金ではない価値観を求めていけるでしょうか。