2012年11月10日土曜日

野田追岳(磐石岳トンネル)

1↓ 国土地図(野田追岳705.8m)クルックで元サイズ

 中央山稜に立つ「乙部岳」から、「鍋岳」~「野田追岳」~「磐石岳」そして噴火湾へと東西に並ぶ稜線は、落部川と野田追川の分水嶺になっています。

 この分水嶺は、明治の初めの年代では、今と違って膽振國と渡島國の国境になっていました。国境だけでなく、森林の地理的分布の上からも無視できない「分布上の境界」と、ローカルですけれども、それと考えられます。

 一例を示すと「ヒメコマツ」の分布は落部川流域に密度高く自生しており、野田追川流域には同種は自生していない等です。(東に遠く離れて日高幌満に飛んで分布していますが…)

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 .磐石トンネルの北側が登山口(左図の大円)になっていました。トンネル出口の東側に駐車スペースがあり、反対側に古い林道が発見できました。

 今回は、トンネル出口~林道を少し辿って~トドマツ植林地~四等三角点~・ 独立標高点493~・同500~・同460~野田追岳のルートを往復しました。

 国土地図に画かれている歩道が今回の主なルートになりますが、記録されたトラックログは同行の一人歩きの北海道山紀行に記録されました。
 
 地図の三か所の赤矢印が示しているのは、下二股川、そして梯子沢に延びる林道へ下る歩道のようです。それぞれ、しっかり刈り払いされて立派な歩道に見えました。<後日、八雲のBさんが3年前に登ったという梯子沢からの周回コースのGPSトラックログが、Sakagさんから送られてきました。周回コース後日登頂した記録はSakag氏HP

 野田追岳から北側へ延びている歩道(破線)は、国有林と民有林の境界に設けられた管理歩道です。分水嶺上の歩道と同様に、刈り払いの時差はあるだろうけれど、標石(境界標)が配置された、野田追川からの上等な登山路として利用できるのではあるまいか。

 標石は立派なもので、御影石に「丸宮」の刻印がされていました。これは皇室林野局の標石で、昔日「落部御料」とか「野田追御料」と呼ばれていたものです。馬に跨った森林官が通っていたと考えてもおかしくないくらいでした。幅の広さと整地に仕方からそれと見てとれて、同行の者たちは「一級国道だ」と言いながら、管理歩道の立派さに感嘆していました。

 アップダウンのキツイ分水嶺でした。黒松内層の火山角礫岩部(磐石岳方向から続いている)、八雲層(頁岩)そして貫入岩(石英斑岩)の山頂へ至る。

 標高点500から、急傾斜を下ると窪地に下りる場所が 「断層」線上(分水嶺の左右の沢が超えているような場所)です。 凸538を鞍部に下りる斜面は火山角礫岩部から凝灰岩部層変化する場所です。 しっかり鞍部へ下りると、そこはゆったり歩ける頁岩の八雲層になっていました。 標高点460を過ぎてから、同行者は「地図から読めない崖状の急斜面だ」と四つん這いになってやっとの思いで上がったところは、頁岩域と貫入岩域の境界、野田追岳の山体を形成する領域と思われる石英斑岩が現れる場所でした。
  
<以下工事中>