2011.1.22(土)
.渡島当別へ同行SHOさん、HOZUさん、TAKIさん(二股岳に次いで二度目)の4人で行った。
・トラピスト前の駐車場に9時30分集合した。周りは何する人ぞ、この時期としては多くの人がいた。思い思いの方向にカメラを設置している人もいた。道路も建造物も、並木道も含めて風景が雪に覆われていたから、白い真綿のベールのトラピストが彼らの狙い目かと思われた。除雪のされ方も、圧接道路も、心なしか静清として心こもる美しさが感じられた。目指す丸山の森全体も冠雪していて、深い新雪と冠雪の樹林の中を楽しめそうだった。トラピストの裏に回って、工場前の広場に車をデポした。HOZU氏の「雪がある所には雪崩あり」の号令で…ビーコンチェックをして、今日はみんなワカンで行くことにした。HOZUさん、TAKIさんはトラピストは初めてだから、墓地、三木露風の歌碑(1889年 - 1964年。詩人、童謡作家、歌人、随筆家。近代日本を代表する作詞家として、北原白秋と並び「白露時代」と称された)や展望台、ルルドに立ち止まりながらの楽しい山行になった。ミズナラとコナラのこと、ブナ二次林のこと、クマゲラの営巣木、スギの上限高度、太さと年齢etc.…頂上の天測点まで、話題が途切れなかった。テレマークマンのTAKIさんは、「スキーを上げても良かった」とブナ林の急斜面を眺めていた。帰路、途中から青空のプレゼントがあった。この時期の風景を、展望を存分に楽しめた。トラピストの丘の川向かいに島崎藤村ゆかりの寿楽園<秦家の別荘のある庭園が寿楽園。島崎藤村が「寿翁遺跡碑文」の一文を起草。藤村が妻(冬子)の実父、当時漁網問屋だった秦慶治(現函館の秦商事)から、1904年来函して「破戒」自費出版の資金400円を調達した。>の台地も遠望できた。トラピストへの並木道の生長、土の丘からコンクリートの展望台へ、荒地から樹高16mのスギ植林地へ、ルルドは岩窟からコンクリートの祠へ移され、俺の40年前の記憶が鮮明だから、トラピストの時間的変貌におおいに感じ入った。
天測点
国土地理院が建てた、1mほどのコンクリート製の天測点の一部が雪上に顔を出していた。天測点は全国で48カ所、北海道に8カ所。現在は測量のために使われることはない。
天測点は天文測量を実施するために設けられた。 天測点は測量機器の重量に耐えうるコンクリート製の観測台。四角柱や八角柱などさまざまな形がある。台上部に指標鋲、側面に銘板「第何号 天測点 地理調査所」が取り付けられている。
天文測量は、三角測量で求められた位置座標を規正する。 昭和29年から5年間、一等三角点のすぐそばで天文測量が実施された。 その後は機器の軽量化により天測点を設置することはなくなった。天測点の 真北約6.4km(北緯41度48分11秒、東経140度33分01秒)離れた個所に、測量機材を正確な方位に設置するため子午線標という目印の石柱が設置されている。
墓地 | ルルド | 頂 | 頂 | 墓地 |
9:30 | 10:00 | 11:22 | 11:45 | 12:45 |
9:30 墓地前の「死は新しきいのちへの門」 「カトリック当別聖リタ協会・墓地」 |
墓地の前の牧草地とスギ林と広葉樹林と奥に丸山 |
9:45 ・えぞちの野薔薇 作詞/修道士 校正/三木露風 作曲/山田耕作 「野ばら野ばら 蝦夷地の野ばら 人こそ知らね あふれ咲く色も うるわし野のうばら」 40年前と同じ場所に同じ歌碑があった 如何にして維持されてきたものか?周辺の環境は荒れた登山路だったが今はスギ林の中 ノイバラ、ススキ、オミナエシ…が茂る薮道から 樹高16mのスギ林へ |
9:50 記憶では、地面に座ってトラピストを展望した 今はコンクリートの見晴らし台に立って林冠越しに… |
9:52 聖母像は、奥の沢頭の岩窟から コンクリート製の壁に移されていた |
10:45 地面から150cm 営巣準備か? クマゲラの鋭いノミの跡が認められた ノミ屑が雪上にあった まもなくドラミングの季節到来だ |
10:50から11:00までブナ二次林(純林)が続く尾根を歩く 記憶では 、被圧されたスギが林床に生きていた 植林に失敗した証明の日陰のスギ低木であろうか |
尾根のブナ二次林 |
乾燥型の褐色森林土に立つブナ林 |
頂から函館山を望む: |
11:22~11:45 雪に埋まる天測点 .当別丸山 北斗市、丸山(まるやま)山頂 コンクリート製四角柱、1954年選点 子午線標 約6.4km真北 (北緯41度48分11秒、東経140度33分01秒) |
下りの尾根:スキーも楽しめる尾根だった |
暴れ木:皆伐・植林時に伐採されず残されたブナ 植栽されたスギの成績悪くブナが天然更新した 周辺にスギ孤立木が点生していた (点生僕は国道からも遠望できた) |
心温まるような風景にしばし・…碧空の晴天ならば海の青さも… 丸山の山地~牧草地の海岸段丘~当別海岸の津軽海峡 |
天測点
国土地理院が建てた、1mほどのコンクリート製の天測点の一部が雪上に顔を出していた。天測点は全国で48カ所、北海道に8カ所。現在は測量のために使われることはない。
天測点は天文測量を実施するために設けられた。 天測点は測量機器の重量に耐えうるコンクリート製の観測台。四角柱や八角柱などさまざまな形がある。台上部に指標鋲、側面に銘板「第何号 天測点 地理調査所」が取り付けられている。
天文測量は、三角測量で求められた位置座標を規正する。 昭和29年から5年間、一等三角点のすぐそばで天文測量が実施された。 その後は機器の軽量化により天測点を設置することはなくなった。天測点の 真北約6.4km(北緯41度48分11秒、東経140度33分01秒)離れた個所に、測量機材を正確な方位に設置するため子午線標という目印の石柱が設置されている。