2011年11月26日土曜日

五郎助岳(ヒバ)

五郎助岳は、私の伝説の山となっていました.その訳は、1 五郎助岳の頂付近に、修験者が籠もった岩窟があるとの言い伝えがある.2 往時、五郎助岳は江差町豊部内から館への山道であったと古老は語っていた.3 元山の山麓の風力発電所建設に働いていた厚沢部町上里の老マタギ米谷林蔵さんが、仕事場から五郎助岳経由で自宅まで歩いて帰ったことがある.こんなことを見聞きしていたことがあって、五郎助岳に行きたいと願ってから20年も経ってしまいました.<1940年台の地図に上の国茂刈山→八幡岳→館への道が明示されている.それに比べると江差豊部内→五郎助岳→当路への道は生活路としても全く無理はないと思われる>

雪山シーズンへの体慣らしに登った先週の七飯岳の帰路、車中でSakagさんShoさんらと「次週は?」との問いに、取るに足らない「低山」だけれど、念願の「五郎助岳」を提案して、採用された山でした.

八幡岳から当路集落へ北流するコサナイ川の右岸ある林道を、車を国有林野の境界ゲートまで、雪道を進めることができました.コサナイ川に降りて渡渉した地点が取り付き尾根になります.帝室林野局が管理した、御料林の境界に沿って尾根をたどれば山頂に至ります.古生層特有の谷壁状の取り付きは「今日の核心部だ」の声が上がるほどの急斜面でした.雪を載せたササ斜面を避けて、ガリー状の凹部(小沢)を、新雪+新鮮落葉+岩礫の3層を靴底で確かめながら、慎重な「梯子登り」で這い上がりました.途中ヒノキアスナロの小林もある標高差150mを登りきって、安定した尾根に立ちました.平均斜度35°を超す、最大斜度40°はあったでしょうか.

早くも、御料林の境界標石(御影石)を雪の尾根に発見できました.頂までの間に、積雪の下、幾つかの標石が足に引っ掛かりました.雪の下から見つかっただけでも、山地の境界としては「なんだこの多さは?」でした.往時、生活資源を木材へ依存した社会があったとはいえ、異常なほど密度が高く標石が設置されていました.


 ・当路から遠望できた五郎助岳.急斜面の凸尾根にヒノキアスナロが列状に自生している様子が見えます.古生層特有の地形配列で、縦列は凸部と凹部で構成されています.「ヒノキアスナロの自生の中心地は何処(?)」と聞かれれば、五郎助岳から尾根が続く「八幡岳」と答えるでしょう.「渡島半島のヒバの分布は(?)」と聞かれれば、「津軽海峡側の東限は上磯町戸切地川、西限は木古内町木古内川.日本海側の南限は上の国町天の川、北限は厚沢部町清水川」.JR江差線以西の松前半島と噴火湾側には一本も自生せず」と答えるでしょう。但し「雲石峠付近を北限として数haの小林」は自生している」と付け加えるでしょう.この領域のヒノキアスナロは、藩政時代~皇室林野局~高度経済成長期の前まで、ほぼ300年間保護政策が継続され、引き継がれてきた高蓄積の自然林といえます.

 ・ガリー状小沢上部の傾斜35°超の急斜面に発達したブナ林.岩礫地の急斜面は、表土の匍行・浸蝕が大なので、ブナの倒木が発生しやすく、小径木の多いブナ林になっていました.今年の気象が原因と思われますが、枯葉が落ちないまま冬を向かえているブナの様子も写真は示しています.ここに限らず、渡島半島の多くの場所に今年目立って多い現象です.

 ・ガリー状小沢の斜面上部瘠せ尾根側に、自生するヒノキアスナロ小林です.傾斜は40°超でしょうか(?)

 ・アジアの沢との境に上がると、ほぼ定高の尾根が続いていました.帝室林野局が埋設した境界標石が、積雪下から時々足に引っ掛かり見つかりました.かなり近距離に埋設されていました.木材資源は財産としてどれほど高い価値があったのであろうか.関税ゼロの木材は、有史以来最も安価で手に入れることができる時代に我々はいることだろうか(?)との会話もありました.

・瘠せ尾根のコースに立ちはだかるり立っていた暖色系のチャートの岩塔.

 ・赤いクリップ状記号は、転倒向斜軸を示しています.上の地質図(参照:5万分の1地質図幅・館)を見ると、歩いた尾根ルートは、複雑に褶曲した古生代松前層群のチャートやスレート等の地層を横断していたことになります.

 ・瘠せ尾根に、用材として優れた資質の通直なヒノキアスナロの小さな林.元禄時代からの300年の森林保護に尽くした人々が、貴重な木材資源を豊富にしてきた来歴があります.1955年頃からの人々は、ヒノキアスナロの林を蓄積した300年間の歴史を消費しました.寂しいかぎりの桧山地方のヒノキアスナロ林になってしまったその来歴を知るすべは(?).

 ・雪の下から明治のころに埋設された「丸宮」の刻印がある境界標石が現れました.

・五郎助岳山頂でも「丸宮刻印」の標石が見つかりました.三角点は、ササが厚く積雪もあって残念ながら見つけることができませんでした.